近年、SNSやウェブサイトで「愛されたい」という言葉を掲げる起業家をよく見かけます。
プロフィール写真の横にやわらかなフォントで書かれたその一文は、一見すると人間的で素直です。
しかし私はこのフレーズに、ビジネスの構造的な弱点を感じています。
「愛されたい」という言葉は、美しく聞こえる一方で、
ビジネスにおいては**「舵を自らの手で握ることを放棄する」**という意味を内包しているのです。
1. 「愛されたい」は恐怖の延長線上にある
「愛されたい」という欲求は、根本的に他者の評価を軸に生きる思考です。
「嫌われたくない」「外されたくない」——その恐怖が行動の起点になっています。
こうした恐れの先にあるのは、創造ではなく迎合(芸合)です。
フォロワーの機嫌をうかがい、バズの潮流に乗り、刺激の少ない言葉を並べる。
それは一見やさしい発信に見えますが、実際には自分の思想を削り取っていく作業です。
本当に強い発信者や経営者は、愛されることを目的にしていません。
むしろ**「愛されること」を恐れている**ほどです。
なぜなら「愛される」という状態は、しばしば群れの中で安全に飼い慣らされることを意味するからです。
人は孤独の中でしか、自分の本当の声を見つけられません。
だからこそ、恐れず孤立できる人の言葉だけが、世界を動かすのです。
2. 愛を狙わず、価値を創る企業の強さ
ビジネスの世界でも、この原理は明確です。
「愛されるブランドを目指す」と語る企業は多いですが、
本当に長く人を惹きつけるブランドは、決して“愛”を目的にしていません。
彼らが追い求めているのは、圧倒的な価値の創出です。
Appleを例に挙げましょう。
Appleは「愛されたい企業」ではなく、「世界で最も美しい体験を設計する企業」です。
彼らの思想は一貫して「他社との差を圧倒的に生み出すこと」にあります。
時にUSB端子を廃止し、ユーザーの不満を招くような決断をする。
それでも人はAppleを使い続けます。
なぜならそこには、他を寄せつけない体験の質と思想の一貫性があるからです。
Appleの顧客は、好きだから使っているのではありません。
**「抗えないから使っている」**のです。
愛ではなく、信頼と依存。
これこそが、強い企業が築く関係性の本質です。
3. 「愛されたい企業」が陥る順序の逆転
対照的に、「愛されたい企業」は順序を誤ります。
「お客様第一」「共感」「優しさ」などの言葉を並べ、
角を立てず、炎上を避け、丸みを帯びたコミュニケーションを続けます。
短期的には好感を得るでしょう。
しかし、やがて人々はその優しさの“軽さ”に気づきます。
「好きだけど、別のブランドでもいいかな」
——そう思われた時点で、ブランドはもう信頼の軸を失っているのです。
価値の順序を見誤ると、組織も思想も空洞化します。
強い企業: 価値を極限まで磨き上げる → その結果、信頼と愛が生まれる(愛は副産物)
弱い企業: 先に愛されようとする → 後から価値を追いつかせようとする(多くは破綻)
この順序の違いが、企業の寿命を決めます。
「愛されたい」と口にする時点で、すでに創造の立場から降りているのです。
4. 「嫌われる覚悟」が思想をつくる
発信の世界でも同じです。
「好かれたい」と思った瞬間に、言葉は丸くなり、思想は鈍ります。
誰にでも優しい文章ほど、誰の心にも刺さらない。
本当に信頼される人は、愛されなくても構わないという覚悟を持っています。
嫌われることを恐れないからこそ、言葉が研ぎ澄まされるのです。
5. 愛ではなく、信頼を残す人へ
ビジネスも表現も、根底にあるのは同じ構造です。
「愛されたい人」は群れの中に溶けて消え、
「信頼されたい人」は孤独を引き受けながら立ち続ける。
SNSがすべてを可視化する時代だからこそ、
私たちは「愛されたい」ではなく、**「信頼される存在でありたい」**と思えるかが問われています。
あなたは、愛されたいでしょうか?
それとも、たとえ嫌われても、自分の思想を貫く覚悟がありますか?
このわずかな意識の差が、
これからの時代におけるビジネスの生死を分けると、私は考えています。