以前、バンコクで生活していた頃、私はある種の「雑さ」に強い印象を受けていました。
道路には古い車と最新の高級車が混在し、
巨大ショッピングモールのすぐ隣には、雑然とした屋台街が広がる。
そして、人間の振る舞いにも、どこか“粗さ”が残っていたのです。
例えば、昔の流しのタクシー。
運転中に平気でお菓子を食べる。
愛想もない。
遠回りする。
法外な料金を吹っかける。
もちろん全員ではありません。
しかし、「かなり態度が悪い人」が一定数いても、その市場は成立していました。
当時、私はそこにある種の時代性を感じていました。
つまり、そこにはまだ、
「信用ゼロでも成立する市場」
が残っていたのです。
「一回きりの関係」が支えていた世界
なぜ、そんな不誠実な商売が成立していたのでしょうか。
理由は単純です。
客と二度と会わないからです。
完全な一期一会。
一回勝負。
つまり、その場で金を取れればよかった。
相手から長期的に信用を得る必要がなかったのです。
これはある意味で、「信用サブゼロ」の世界でした。
信用がなくても生きられる。
むしろ、短期的に得をすれば成立してしまう。
昔の観光地、
露店商売、
流しのタクシー、
飛び込み営業。
こうした世界には、「一回きり」が前提の経済圏が確かに存在していました。
プラットフォームが「強制的な信用」を持ち込んだ
しかし、その世界は急速に変わり始めます。
配車アプリ。
フードデリバリー。
オンラインマーケット。
プラットフォーム経済の登場です。
ここで起きた最大の変化は、
「評価の可視化」
でした。
ドライバーには星がつく。
配達員にもレビューがつく。
店にも点数がつく。
つまり、「感じが悪い」「雑だった」が、曖昧な噂話ではなく、数値として蓄積されるようになったのです。
これは非常に大きな変化です。
なぜなら、
信用がなかった人間にも、強制的に信用経済へ参加させる仕組み
だからです。
かつては、愛想が悪くても、その場で逃げ切れた。
しかし今は違う。
低評価が積み上がれば、仕事そのものが減る。
つまり、システム側が「感じ良く振る舞え」と圧力をかけるようになったのです。
社会は「快適」になった
その結果、サービス品質は大きく改善しました。
昔より安全。
昔より丁寧。
昔より予測可能。
配車アプリを使えば、料金も透明化される。
ぼったくりも減る。
接客も安定する。
つまり、社会全体はかなり快適になりました。
これは事実です。
しかし同時に、別の変化も起きています。
人間が「最適化」され始めた
評価経済では、人は「嫌われないこと」を最優先するようになります。
低評価を避ける。
炎上を避ける。
感じ良く振る舞う。
すると、人間は徐々に“角”を失っていく。
どこか無難で、
どこか均質で、
どこか優等生的になる。
もちろん、それ自体は悪ではありません。
ただ、昔あった「雑さ」や「余白」も、同時に消えていく。
例えば、昔の東南アジアには、
- 雑だけど妙に愛嬌のある人
- 適当だけど人間臭い商売
- めちゃくちゃだけど面白い空気
がありました。
今は、そこへプラットフォーム的合理性が入り込み、「最適化」が進んでいます。
これは文明化でもあり、同時に“均質化”でもあります。
信用は「資産」になった
現代では、信用そのものが資産になっています。
レビュー。
フォロワー。
評価点。
実績。
口コミ。
これらはすべて、「次の仕事」を呼び込む装置です。
つまり、
信用がさらに信用を生む。
逆に、信用を持たない人は、常にゼロからやり直しになります。
昔のように「一期一会」で逃げ切るのが難しくなった。
社会全体が、「継続的評価社会」へ変わっているのです。
「自由」と「信用」は両立しにくい
ただし、この社会には息苦しさもあります。
なぜなら、常に見られているからです。
常に評価され、
常にレビューされ、
常に点数化される。
すると人は、「本音」より「評価されやすい人格」を演じ始める。
つまり、
信用を取る代わりに、自由を失う
構造が生まれる。
これは現代社会の非常に大きなテーマだと思います。
「雑な空気」はなぜ懐かしく感じるのか
今振り返ると、昔のバンコクの“雑さ”には、ある種の自由もありました。
もちろん不便でした。
不誠実も多かった。
しかし同時に、「最適化されていない人間」がまだ存在できた。
今後、世界中でプラットフォーム化が進めば、ああした空気はさらに減っていくでしょう。
誰もが評価され、
誰もが数値化され、
誰もが「感じ良く」振る舞う。
それは非常に快適な社会かもしれません。
しかしその一方で、
「余白のない社会」
へ近づいているようにも見えます。
信用社会の先に、何が残るのか
これからの時代、信用はますます重要になるでしょう。
しかし、その信用を得るために、人間がどこまで「最適化」されていくのか。
これはかなり大きな問いです。
快適さ。
安全性。
効率。
それらを追求した先で、人間らしい雑味や余白まで失われていくのだとしたら、私たちはどこかで、
「何を残したいのか」
を考えなければならないのかもしれません。