YouTubeで海外ノマドの動画を見ると、よく似た光景が出てきます。
南国のカフェ。
開かれたノートパソコン。
アイスコーヒー。
プール。
夕方の散歩。
そして、
「今日はここで仕事をします」
という一言。
一見すると、非常に自由で、充実した働き方に見えます。
しかし冷静に見ると、ある疑問が残ります。
この人は一体、何を作っているのか。
誰に価値を提供しているのか。
どこから収益を得ているのか。
そうした仕事の実態は、ほとんど見えてこないことが多いのです。
見えているのは仕事そのものではありません。
仕事をしているように見える風景です。
仕事の中身ではなく、仕事らしさが見られている
現代では、
何をしているか
よりも、
どう見えているか
の比重が大きくなっています。
カフェでパソコンを開いている。
オンライン会議をしている。
ノートに何かを書いている。
忙しそうに移動している。
これだけで、
「ちゃんと働いている人」
という印象が生まれます。
しかし本来、仕事とは、
誰かに価値を提供することです。
何かを作る。
何かを解決する。
何かを運ぶ。
何かを管理する。
何かを売る。
そこに実態があります。
ところが今は、
仕事の実態よりも、
仕事をしているように見える形式
が一人歩きしているように見えます。
「出勤しているフリ」という極端な例
この構造を極端な形で表しているのが、
出勤しているフリ
です。
実際に中国などでは、
失業者向けに、
オフィスへ通勤しているように見せるサービスが存在すると言われています。
机がある。
パソコンがある。
同僚のような人がいる。
会議のようなものがある。
在職証明や給与明細のようなものまで用意される。
もちろん、そこでは本物の仕事が行われているわけではありません。
何かを生産しているわけでもない。
顧客に価値を提供しているわけでもない。
しかし、
働いている形式
は整っている。
この形式が、本人の体面を守ります。
家族への説明を可能にします。
社会から脱落していないように見せます。
つまり、
仕事そのものではなく、
仕事をしているという記号
が必要とされているのです。
会社員社会にも昔からあった
ただし、これは決して新しい話ではありません。
会社員社会にも、
働いているフリは昔からありました。
忙しそうに歩く。
大きな声で電話する。
会議で発言する。
残業している姿を見せる。
資料をたくさん作る。
これらは必ずしも成果と一致しません。
しかし組織の中では、
仕事をしているように見える
こと自体が評価される場面があります。
特に、成果が見えにくい仕事では、
実態よりも演出が強くなります。
すると人は、
仕事をするのではなく、
仕事をしているように見せる技術
を磨き始めます。
ノマド動画は労働の風景を売っている
海外ノマド動画も、この延長線上にあります。
もちろん、本当に仕事をしている人もいるでしょう。
きちんと顧客を持ち、
サービスを提供し、
収益を上げている人もいるはずです。
しかし視聴者が見ているのは、
その仕事の中身ではありません。
見ているのは、
労働の風景
です。
南国で働く私。
カフェで働く私。
自由に生きる私。
会社に縛られない私。
これは仕事の記録というより、
仕事らしさの演出
です。
そして視聴者は、
その演出を消費しています。
なぜ人は「働いているフリ」に惹かれるのか
なぜこうしたものが求められるのでしょうか。
理由は単純です。
仕事には社会的な安心感があるからです。
人は、
「働いている」
という状態に安心します。
自分も安心します。
家族も安心します。
社会も安心します。
だからたとえ中身が曖昧でも、
仕事をしているように見えることには価値があります。
働いている人。
忙しい人。
予定がある人。
パソコンを開いている人。
そう見えるだけで、
社会の中に居場所があるように感じられるのです。
救いとしての演出
もちろん、仕事の演出には救いの面もあります。
人間は常に実態だけで評価されると疲れます。
成果。
数字。
利益。
価値提供。
そればかりを求められると、息が詰まります。
だから、
少しだけ形を整える。
それっぽく振る舞う。
社会との接点を保つ。
それによって自分を守ることもあります。
働いているフリは、
人間が社会から完全に脱落しないための防御
にもなり得ます。
しかし空洞化も進む
一方で、演出だけが肥大化すると危険です。
何を作っているのか分からない。
誰に価値を届けているのか分からない。
なぜ収益が生まれているのか分からない。
それでも、
忙しそうにしている。
働いているように見える。
充実しているように見える。
この状態が続くと、
仕事の実態が空洞化します。
そして本人も、
自分が何をしているのか分からなくなる。
残るのは、
労働の形式だけです。
これから「仕事らしさ」はさらに売れる
今後、この傾向はさらに強まると思います。
リモートワーク。
フリーランス。
ノマド。
副業。
個人発信。
こうした働き方が広がるほど、
外からは仕事の実態が見えにくくなります。
すると人は、
見えるものに頼ります。
パソコン。
カフェ。
オンライン会議。
移動。
予定表。
作業風景。
これらが、
仕事の証拠
として扱われるようになります。
本当は成果を見るべきなのに、
風景が成果の代わりになる。
ここに現代社会の危うさがあります。
実態を問うこと
これから必要なのは、
「それっぽさ」に騙されないことです。
この人は何を作っているのか。
誰に価値を提供しているのか。
どこで責任を負っているのか。
どのように収益が生まれているのか。
そこを見ることです。
もちろん、すべてを可視化する必要はありません。
しかし、
仕事らしさだけを見て、
仕事があると思い込むのは危険です。
働いているフリが商品になる時代だからこそ、
私たちは仕事の実態を問い直す必要があります。
仕事とは何か。
価値とは何か。
演出と実態はどこで分かれるのか。
その問いを持たなければ、
私たちはいつの間にか、
働いているフリを消費し、
働いているフリに憧れ、
自分自身も働いているフリをするようになってしまうのかもしれません。