SNSを見ていると、ときどき不思議な感覚になります。
「この人は本当にこういう人なのだろうか。」
そんな違和感を覚えることがあります。
もちろん、嘘をついているわけではありません。
本人も真剣です。
しかし、その人自身よりも、「こういう人に見られたい」というイメージのほうが先に立っているように感じることがあります。
私はこれを、「人格のコスプレ化」と呼んでいます。
日本は昔から「型」の文化だった
日本には古くから「型」を重んじる文化があります。
武士には武士らしさ。
職人には職人らしさ。
会社員には会社員らしさ。
個人の考えよりも、その立場にふさわしい振る舞いが重視されてきました。
これは日本社会を支えてきた文化でもあります。
しかし、その文化がインターネットと結び付いたことで、新しい現象が生まれました。
人格そのものが「型」になり始めたのです。
「自由人」というキャラクター
例えば、SNSには「自由人」というキャラクターがあります。
会社を辞める。
海外へ移住する。
ノマドとして働く。
ミニマリストになる。
MacBookを持ち歩く。
朝活をする。
筋トレをする。
もちろん、こうした生活そのものを否定するつもりはありません。
しかし、不思議なことに、「自由」を目指しているはずなのに、多くの人が同じような服を着て、同じような言葉を使い、同じような生活を発信しています。
自由とは本来、一人ひとり違うはずです。
それなのに、「自由人」という一つのテンプレートが存在しているように見えるのです。
人生ではなく人格を運営する
現代のSNSでは、人は人生そのものよりも人格を管理するようになります。
何を考えているか。
どんな雰囲気を持っているか。
どんな価値観の人に見えるか。
そうしたイメージを日々整え続けます。
難しい哲学を語るよりも、整った部屋の写真。
人生の葛藤を語るよりも、おしゃれなカフェ。
複雑な思想よりも、分かりやすいライフスタイル。
こうした「記号」を積み重ねることで、一つのキャラクターを作り上げていきます。
まるで、自分自身を運営しているようです。
記号が増えるほど、人間は薄くなる
もちろん、分かりやすさは悪いことではありません。
SNSでは、一目で伝わることが重要だからです。
しかし、記号だけで人格を作ろうとすると、人間そのものは少しずつ薄くなっていきます。
本来、人間はもっと複雑です。
矛盾があります。
弱さがあります。
説明できない感情があります。
そうした部分をすべて削り落としてしまえば、整ったキャラクターはできます。
しかし、「その人にしかないもの」も同時に失われてしまいます。
借り物の人格では思想は生まれない
人格は、演じることができます。
しかし、思想は演じられません。
本当に何を大切にしているのか。
何を嫌悪しているのか。
何を守りたいのか。
こうした問いと向き合わなければ、その人自身の考えは育ちません。
だからこそ、自分の中に思想が育っていないと、人は外側から人格を借りてきます。
自由人らしい人格。
起業家らしい人格。
クリエイターらしい人格。
それらを身にまとえば、それらしく見えるからです。
しかし、それはあくまでコスプレです。
本当に価値があるのは「滲み出るもの」
これからの時代、本当に価値を持つのは、上手にキャラクターを演じる人ではないように思います。
むしろ、不器用でも、自分自身の思想が滲み出てしまう人です。
その人が何を考え、何に怒り、何に感動するのか。
そうしたものは、長く発信を続ければ自然と表れてきます。
それは演出では作れません。
生き方そのものが作るものです。
おわりに
現代は、自分をプロデュースする技術が求められる時代です。
その結果、多くの人が人生を生きるよりも、人格を運営するようになりました。
しかし、人間は本来、キャラクターではありません。
矛盾し、迷い、ときには失敗しながら生きる存在です。
だからこそ、自分をうまく演じることよりも、自分自身の思想を育てることのほうが、これからは大切になっていくのではないでしょうか。
キャラクターは作ることができます。
しかし、その人だけの思想は、長い時間をかけて生きた人にしか生まれません。