皆さん、こんにちは。今日は、私が会社員時代に経験した、少し奇妙なエピソードについてお話ししたいと思います。それは、私がタイで営業担当として働いていた時のことです。
当時、私は工業用研削砥石の専門商社で、主に工場で使われる砥石を販売していました。月に一度か、場合によっては3ヶ月に一度、担当する日系企業を訪問し、打ち合わせをしていました。ある日、パトムターニーにある工場にいた日本人担当者の方に、電話で打ち合わせのアポイントを取ろうとした時のことです。私が「打ち合わせをしたいのですが」と伝えたところ、相手は「接見ですか」と尋ねてきたのです。
この言葉に、私は非常に驚きました。「接見」という言葉は、裁判などで使われる言葉で、身分の高い人が公式に会見することや、身体拘束を受けている人が面会することを意味すると、私は知っていました。ビジネスの場で使われる言葉としては、非常に違和感がありました。瞬間的に、「接見」が「会う」という意味だと理解しましたが、なぜこの言葉を使ったのか、理解に苦しみました。
後で考えると、その担当者は、工場という閉鎖的な空間で働いている自分を、「身体の拘束を受けている」という状況に例えて、冗談で言ったのかもしれないと思いました。しかし、ビジネスの場で、このような言葉を使うのは、やはり不自然だと感じました。
この経験から、ビジネスの場では、「会う」の尊敬語や謙譲語を覚えておけば十分であり、「接見する」という言葉は、専門的すぎると私は考えました。例えば、「お会いになる」や「お目にかかる」などの言葉で十分です。
その担当者は、いつもニコニコしていて、穏やかな印象の方でした。しかし、常に表情が変わらないタイプの人は、逆に怖いと感じることもありました。後日、退職したその担当者は、個人的にサプリメントの販売ビジネスを始めたそうです。そして、飲み会の席で、サプライヤーである私たちに、そのビジネスを勧めてきたのです。私は、その行動に公私混同を感じ、ビジネスを断りました。
この一連の経験を通して、私は、会社で働く上で、世間の建前を尊重しつつも、自分の善悪の価値観を大切にしたいと強く思うようになりました。ビジネスの場では、言葉の使い方一つで、相手に誤解を与えたり、不快な思いをさせたりすることがあります。そのため、言葉を選ぶ際には、慎重になる必要があると学びました。
このブログ記事が、皆さんのビジネスにおけるコミュニケーションの一助となれば幸いです。