今日は少し重めのテーマかもしれませんが、私が「能力主義」について感じている違和感をお話ししたいと思います。このブログ記事が、皆さんの働き方を考えるきっかけになれば嬉しいです。
「得意なことで輝ける」というメッセージへの違和感
世の中には、「どうせ働くなら自分の得意なことで勝負したい」「自分の才能を活かせる仕事がしたい」という考えが自然に存在しますね。特に日本では、メディアや自己啓発書、ビジネス書などを通じて、「好きなことを仕事にしよう」「天職を見つけよう」といったメッセージが盛んに発信されています。プロのスポーツ選手はその象徴であり、彼らは才能を開花させて大金を稼ぎ、社会的に高く評価されています。
もちろん、才能を活かして稼ぐことは否定されるべきではありません。しかし、問題は「人間はみんな自分の得意なことで輝けるんだ」というメッセージが、まるで社会全体に浸透しているかのように感じられる点です。
誰もが得意・不得意を持っているものですが、「自分の得意を活かせば、才能を開花させれば自己実現ができる」というメッセージに絡め取られてしまうと、かえって辛くなることがあると私は感じています。
- 確かに、ある分野に打ち込んで成功する人もいます。しかし、全員がそうなれるわけではありません。
- 実際には、自分にどんな才能があるのか分からないと感じている人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
- 必死に自己分析をしても、自分の得意が見つからない人もいるでしょう。
「何か才能を見つけてそれを磨き、社会で評価されなければならない」という考え方自体が、私たちに強いプレッシャーを与えているように思います。このようなプレッシャーを抱えながら働くのは、なかなか厳しいものがあるのではないでしょうか。
サラリーマン社会における能力主義の曖昧さ
さらに、サラリーマンの世界では、この能力主義の考え方が少し異なる形で根付いているように感じられます。ここ20年ほどで、日本の企業にも「成果主義」が導入され、社員一人ひとりが「評価される」ことを強く意識せざるを得なくなっています。その結果、「あの人は仕事ができる」「あの人はダメな社員だ」といったラベリングが以前よりも強くなっている気がします。
しかし、ここで私は大きな疑問を感じます。「会社の中で仕事ができる」とは一体何を指しているのでしょうか?
例えば、陸上競技のように「100mを10秒で走る」といった明確な基準は、サラリーマンの仕事にはありません。営業成績のように数字で評価できる職種も一部にはありますが、多くの仕事は以下のような曖昧な要素を含んでいます。
- チームプレイ
- 会社に対する長期的な貢献
それにもかかわらず、「あの人はできる」「この人はダメだ」といった印象評価が、いつの間にか実力として定着してしまうことがあります。特に上司の評価は大きな影響力を持っています。実際には、声が大きくて堂々としている、頼もしく見えるといった「なんとなくの印象」だけで仕事ができる人と見なされてしまうこともあるのです。その一方で、口下手で控えめな人は、どれだけ努力しても評価されにくいという不条理も存在します。
このような曖昧な世界で「能力主義」という言葉を使ってしまうと、結局は会社や世の中における「勝ち組」と「負け組」を恣意的に分けるだけのツールになってしまう危険性があるのです。
また、たとえ仕事ができると評価されたとしても、それが本当に自分が優れているからとは限りません。
- たまたまその組織で、上司との相性が良かっただけかもしれません。
- 運良く自分に合った仕事を任されただけかもしれません。
それにもかかわらず、「俺は仕事ができるんだ」と自信満々に振る舞い、他人を見下すような態度を取る人もいますが、それは危険なことだと思います。サラリーマンであれ自営業であれ、仕事は他人と関わりながら進めるものですから、謙虚さを失った時点でどこかでつまずいてしまう可能性が高まります。
かつて日本には「謙譲の美徳」という独特の考え方があり、自分の能力を声高にアピールすることは良しとされませんでした。しかし、いつの間にかそうした美徳は薄れ、自己主張し、自分の実力や能力を周囲に見せていった方が得だと気づいた人も多いのかもしれません。いくら仕事ができても黙っていては評価されないから、仕事はもちろんしっかりやるけれど、それ以上に周囲にアピールしていく必要がある、という状況になっているのでしょう。
能力主義に振り回されずに、自分の軸で歩むこと
私は能力主義そのものを否定するわけではありません。人それぞれ得意なことや向き不向きがあるのは事実ですし、それを活かせた方が、働いていても気持ちは楽になると思います。
しかし、仕事は才能だけで成り立つものでもありません。そして、常に他人と比べて自分が優れているかどうかばかりを気にしていると、自分自身の評価をいつの間にか他人の評価に丸投げしてしまうことになります。
もし今、あなたが職場で評価されていなかったとしても、それはあなたに才能がないという意味ではありません。逆に、職場で評価されている人も、実は運やタイミングに助けられているだけかもしれません。
だからこそ、能力主義という言葉に必要以上に振り回されずに、もっともっと自分自身の軸で働き方を考え、変えていくことが大切なのではないでしょうか。
能力主義に振り回されず、とにかく自分の軸で歩む。これが私の考える結論です。
今回は、サラリーマン社会における能力主義への違和感について、私なりの視点でお話ししました。