スキル至上主義と引きこもりは同じ穴の貉である

2025年8月31日日曜日

考えかた

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こんにちは。今日は少し刺激的なテーマでお話ししたいと思います。それは、「スキル至上主義」と「引きこもり」が、実は同じ穴の狢である、というお話です。

日本ではこの30年ほど、メディアで「引きこもり」や「ニート」という言葉が取り上げられてきました。最近は話題になる頻度が減ったとはいえ、依然として相当数の人々が存在しています。内閣府の調査によると、推定で146万人の引きこもりの方が日本にいるとされており、これはまるで一つの都市がまるごと引きこもりで構成されているような数ですね。

私自身は、引きこもりの方々に対して基本的に好意的な印象を持っています。実際、優しい性格の方も多く、世俗的な社会に馴染めないところに共感できる部分もあります。外から見ると、布団の中で寝ていたり、何もしていないように見えるかもしれませんが、私はそうではないと思っています。引きこもりの方々は布団の中で徹底的に考えているのではないでしょうか。むしろ、普通に社会に適用している人よりも、よほど深く考えている人が多いのかもしれません。

では、なぜ外に出ないのか。その理由はシンプルで、傷つくのが怖いからだと考えられます。人から馬鹿にされたり、頭を下げたりするのが嫌だという気持ちは、誰にでもあるでしょう。私たち人間は皆、傷つきたくない生き物です。会社で働く中で、嫌な上司の傲慢な態度に傷ついたり、相手のちょっとした視線や表情に敏感に反応して心が刺さることもあります。人間は本当に繊細な生き物だと痛感します。

そこで私が気になるのが「スキル至上主義」という考え方です。これは「スキルさえあれば大丈夫」「スキルさえあれば飯を食っていける」という考え方ですね。特に経済状況が厳しくなり、格差社会が叫ばれる中で、「厳しい生存競争に勝つには、とにかくスキルを磨けば食っていけるし、会社もリストラされない」と考える人が増えています。

確かにスキルを磨くこと自体は素晴らしいことです。しかし、スキルだけあればなんとかなると考えてしまうのは危ういと私は思います。なぜなら、仕事とは人との関わりだからです。

  • 例えばプログラミングの世界では、どんなに技術力があっても、チームでのやり取りが雑だったり、相手を見下すような態度を取っていれば、仕事は長続きしないでしょう。
  • 英語などの外国語も、いくらペラペラでも、相手を不快にさせるようなコミュニケーションをしていては、信頼は得られないと思います。

高いスキルを持っていても、人との関係を築けなければ、一時的には仕事ができても、いつかチャンスを失うことになるかもしれません。結局、スキルだけでは仕事は回らないのです。

そして、ここで気づくことがあります。引きこもりとスキル至上主義は、見た目は正反対に見えても、その根っこは同じではないかということです。

共通しているのは、「傷つきたくない」という気持ちです。

  • 引きこもりの方は、外に出ないことによって身を守ります。
  • 一方、スキル至上主義の方は、「人間関係など二の次だ、仕事のスキルさえ磨けば安全だ」と信じ込むことによって、身を守ろうとするのです。

外にいるか、家にいるか。動いているか、布団の中にいるか。全く違うように見えても、これらの考え方は同じ穴の狢なのではないかと私は考えます。

だからこそ大切なのでは、人間や社会そのものから目を背けないことではないでしょうか。面倒に感じても、人と関わり、時には人に頭を下げたり、傷つきながらも進んでいくこと。仕事のスキルはもちろん大切ですが、それだけに頼ってはいけないのです。また、引きこもる純粋な気持ちも理解できますが、それだけにとどまっていてはいけないとも思います。

もちろん、「他人に迎合しないために、仕事のスキルを徹底的に磨いて誇り高く生きていきたい」という価値観を持つ方もいらっしゃるでしょうし、それはそれで立派な価値観だと思います。ただ、「スキルを磨けば安心」という考え方の危うさ、あるいは「人間関係が怖いから布団に潜っていたい」と感じてしまう気持ちについて、皆さんに問いかけてみてほしいのです。

今回は、スキル至上主義と引きこもりは実は同じ穴の狢である、というテーマでお話ししました。それではまた。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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