忖度文化の不思議:日本企業の未来を考える

2025年9月9日火曜日

日系企業の文化

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こんにちは。今日は「忖度文化の不思議」というテーマでお話ししたいと思います。日本の会社では「忖度」という言葉をよく耳にしますね。これは会社だけでなく、お役所や政治家の世界でも使われるキーワードです。

忖度とは何か?

忖度とは、周りの人や上司の顔色を見ながら自分の意見を調整していくことを指します。はっきりしたことを言うよりも、相手が受け入れやすい言葉を自ら選んでいく、という行動です。

この忖度は、長い間、日本的組織を支えてきた文化でもあります。日本の社会、特に日本人同士の関係では「長幼の序」が重んじられやすく、先輩後輩の上下関係がとても厳しい場合があります。後輩が先輩に意見を言ったり、反抗したりすることは難しいとされています。その中で、上の人に対して自ら進んで、相手が受け入れやすい内容のことをあらかじめ考えて発言するという習慣が、幼い頃から培われている人が多いのかもしれません。

忖度の枠から外れない「論理派」

しかし、この忖度をよく観察すると、かなり不思議な側面があることに気づかされます。

会社の同僚の中には、論理的にガンガン意見を言うタイプの人もいますね。一見すると「炎のような論理派」で、歯に衣着せぬ発言をしているように見えるかもしれません。滑舌が良く、頭も切れて、はっきりと物を言うタイプで、相手の気持ちをあまり考えていないように見えることもあります。

ところが、よくよく観察してみると、そのような人たちも実は忖度の枠からは外れていない、ということに気づくのです。彼らは、上司が許容する範囲を超えることは決して言いませんし、組織の根幹を揺るがすような発言もしないのです。つまり、日本社会では、強気に見える人でも無意識のうちに忖度をしている、あるいはその自覚なく文化に適応してしまっている、と言えるでしょう。

「許されるキャラクター」と予定調和

さらに、個性的に見える人すら、実は「予定調和」の中で許されているに過ぎない、という側面もあります。例えば、以前タイのバンコクで勤務していた頃に出会った、いつもニコニコしていて「酒好きキャラ」として愛されていた日本人サラリーマンがいました。彼は知性をひけらかすこともなく、ただ酒好きとして愛されていた人物ですが、このようなキャラクターは、論理や仕事の成果とは別の「予定調和」の中で許された存在として組織にいることができるのです。これは、忖度文化の一部である、と筆者は考えています。

残念ながら、このような状況は、日本企業が真の意味で多様性を認めているわけではないことを示しています。新しい考えを取り入れることよりも、予定調和を保つことが優先されてしまう結果、日本企業は停滞し、外部からの変化に弱い組織になってしまうのです。

変化の兆し:外国人との共働

しかし、この「予定調和」も永遠ではないと私は考えています。少子高齢化が進む日本では、日本人だけの労働力では不足し、外国人と一緒に働く機会がどんどん増えていくことになります。

その時、今まで日本人が当たり前のように捉えていたこの「予定調和」という現象は、自分自身で崩さざるを得なくなるでしょう。多様な価値観に触れ、忖度の効かない状況に直面していくことになります。これは大変な試練になるかもしれませんが、同時に、多くの日本人サラリーマンにとって知的な鍛錬になるはずです。予定調和の殻を破る経験が、彼ら自身を成長させてくれることに繋がるのではないか、と想像しています。

結局のところ、日本の忖度文化は、予定調和の中で許された個性にとどまり、真の意味での多様性を否定してきました。それが日本企業の停滞の原因となっているのです。しかし、外国人との共働の現場でその予定調和が崩れることは、サラリーマンにとっての知的な鍛錬となり、結果として組織を変えていく力になるのかもしれません。

皆さんの周囲には、「許されるキャラ」と呼ばれる人はいませんか?少し見回してみてはいかがでしょうか。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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