現代社会は、目的と効率という概念に深く支配されていると感じませんか。私たちは、大企業に入るために難関大学を目指し、安定した職のために資格を取り、キャリアのために外国語を学ぶ。もちろん、これらは立派で現実的な動機です。しかし、すべてを目的で自分自身を縛ってしまうと、人生は案外窮屈になってしまうのではないでしょうか。
「面白い」という純粋な動機がもたらす豊かさ
特に「学び」に関して、目的ドリブンの行動と、純粋な好奇心に基づく行動では、その質が大きく異なります。
ビジネスのために日本語を学ぶのも合理的ですが、ただただ面白そうだから日本語を学ぶという後者の動機の方が、学びの深さや楽しさが全く違ってきます。心底から湧き上がる情熱があるため、学習も長続きするのです。これは語学だけでなく、スポーツや趣味も同様です。例えば、「体を動かすのが楽しいから運動する」という動機は、生活そのものに健やかさをもたらします。
人間関係に潜む「損得勘定」の罠
生きていると、仕事や勉強だけでなく、人間関係にも「目的」が絡んでくることがあります。
ビジネスの世界でよく聞かれる「人脈作り」はその典型です。この人と繋がっておけば「役立つかもしれない」という考えで付き合うことは、ある意味現実的です。しかし、こればかりだと、結果的にどこか虚しい関係しか築けません。
そうではなく、「この人と話してみたい」「一緒にいると楽しいな」というただそれだけの理由で関わる方が、長い目で見れば、むしろ信頼できる関係になるのではないでしょうか。
例えば、上司が部下を食事に連れて行くときの話です。日頃のねぎらいという気持ちがある一方で、内心では「飯を奢ってやるから、その分もっと働けよ」という思いが潜んでいることもあります。こうした気持ちが透けて見えたとき、部下の側は気持ちが白けてしまうものです。
器の大きさは「見返りを求めない行動」に現れる
本当に見返りを求めずに心から部下をねぎらい、ご馳走してくれる上司もいます。そのような人に出会うと、「器が大きいな」と感じます。
器の大きい人は、見返りを考えずに自発的に行動できます。一方で、器の小さい人は、相手に損得感情が透けて見えてしまうのです。
器を大きくする、小さな行動の積み重ね
では、どうすれば器を大きくし、見返りを求めない生き方を習慣化できるのでしょうか?
それは、普段の心がけ次第です。
- 「面白そうだから、とりあえずやってみようか」と行動してみる。
- 特に理由はないけれど、「この人と話したいから会ってみる」と誘ってみる。
- たまたま隣に座った人に、ちょっと声をかけてみる。
こうした小さな行動の積み重ねが、やがてその人の生き様を形作ります。見返りを求めない姿勢が習慣になってくると、不思議と周りの人から信頼が集まるようになります。
私自身を振り返っても、大学受験の時を除いては、基本的に「面白そうだから」という理由で行動してきました。東南アジアで働くことになったのも、「ビジネスの役に立ちそうだから」といった打算よりも、直感的な好奇心に従った結果です。結果的に、その選択は仕事としても人間関係としても、非常に豊かな経験に繋がったと感じています。
やはり、見返りを考えずに動いた方が、人生は面白い方向に開けていくのではないでしょうか。
子供の頃の鮮烈な記憶
見返りを求めない行動の強烈な影響は、小さな頃の出来事からも学べます。
私が小学校低学年の頃、学校のトイレで紙がないことに気づき、大変慌てていました。その時、偶然外にいた高学年の生徒が、何も言わずにトイレの隙間から紙を差し入れてくれたのです。それは、知り合いでも友達でもない、ただ同じ学校に通っているだけの相手でした。この行動は、まさに見返りなしの助けでした。
何十年も前の出来事ですが、この瞬間に「人はこんな風に見返りを求めずに助けることができるんだ」ということが、私の心に鮮明に刻み込まれました。
最後に
ビジネスや実業界で生きていく上では、目的や効率を意識することは大切です。しかし、すべてを損得感情で測るのではなく、時々でいいので、「ただやってみたいからやる」「ただ会ってみたいから会う」といったシンプルな行動を大切にしてみてください。
子供の頃は、誰もが「面白そうだからやる」という単純な気持ちで行動していたはずです。大人になるにつれて、人生の物事に目的や効率を意識しがちですが、たまには目的も何も考えずに、とりあえず面白そうだからやってみる。
そんな行動が、結果として人生を豊かにしてくれるはずです。