皆さんがお住まいの国では、副業は認められているでしょうか?
日本では、依然として副業を禁止する会社が少なくありません。
今回は、この副業問題と深く結びつく日本独特の考え方「二足のわらじ」を取り上げ、日系企業の実態を探ります。
「二足のわらじ」の意味と背景
「わらじ」とは、かつて藁で編んで作られた履物のこと。二足同時に履けないことから転じて、「二つの立場や仕事を同時に担うこと」を指すようになりました。
日本の会社社会では、この「二足のわらじ」を履くことが強く嫌われます。
サラリーマンは「会社の仕事だけに専念すべき」という空気が、根強く存在しているのです。
夢を追うことは「青臭い」と見なされる
会社員が絵を描きたい、小説を書きたい、音楽を続けたい――こうした夢を口にすると、周囲からは「青臭い」と冷ややかに見られます。
昼間は会社、夜は夢のために努力する。これは単なる体力勝負ではありません。
「どうせ夢なんて叶わない」「無駄だからやめろ」――そんな無言の圧力が、同僚や上司から絶えず降りかかり、挑戦のエネルギーそのものを削いでいくのです。
副業禁止規定と企業の本音
こうした空気を制度として裏付けているのが、副業禁止規定です。
多くの企業では、就業規則で副業を禁じています。
理由は「給与や福利厚生を充実させているのだから、従業員は会社に専念すべき」というもの。しかし実際の本音は「従業員に夢を追われては困る」ということに尽きます。
私がかつて関わったバンコクのある日系企業も、経営状態や給与水準は良かったものの、「会社以外での収入は一切認めない」という厳しい方針を掲げていました。
将来への備えを阻む「保守性」
しかし、未来永劫安定し続ける企業など存在しません。
だからこそ社員が副業に挑戦するのは、将来を見据えた当然の行動です。
それにもかかわらず、古いタイプの日系企業は極めて保守的で、社員の自主性や夢を抑え込む方向に働きがちです。
そのため「二足のわらじ」でお金を稼ぐ夢を追いたいなら、決して社内で公言してはいけないと言われます。趣味程度なら黙認されても、仕事として収入を得るとなれば「周囲に迷惑をかける行為」とみなされ、一気に風当たりが強まるからです。
日本社会の本質:「稼げなければ存在価値なし」
なぜここまで厳しいのでしょうか?
その背景には、副業を否定する人々自身の心理があるのかもしれません。
挑戦したことがない、あるいは挑戦に挫折した経験を持つがゆえに、挑戦者を引きずり下ろそうとする。 そんな構図が見えてきます。
日本社会では、お金を稼げない芸術家は存在価値を認められません。
どれだけ優れた作品を生み出しても収入に結びつかなければ「ただの趣味」とされ、思想や哲学を語っても「まずは金を稼げ」と突き放されます。
つまり、夢を語ることは「お金を稼ぐ力の証明」を同時に求められる行為なのです。
結論:不自由さを象徴する「二足のわらじ」禁止
夢を持つこと自体が咎められ、「二足のわらじ」が許されない日本社会。
それは、この国に深く根付いた不自由さと保守性の象徴だと言えるでしょう。
この構造を理解しておくことは、日系企業で働く上で大きなヒントになるはずです。