今日は、誰もが日常でふと感じるけれど、なかなか言葉にしづらい「匂い」について考えてみたいと思います。ここで言う匂いとは、汗や生活習慣からくる物理的なものではありません。私が指すのは、その人の思考や性格から自然と滲み出てくる精神的な匂いです。
諦めきれない心が放つ「匂い」
この独特な匂いの正体は何でしょうか。私はそれを、人がまだ何かを諦めきれていない時に現れるものだと考えています。
かつて本気で挑戦したスポーツ、勉強、趣味――しかしうまくいかず、生活のために全く別の仕事をしている。そのような状況に置かれた時、人は無意識に「自分はもっとできるのに」という気配を態度や言葉の端々に漂わせます。
その空気は周囲の人にとって、不満や妬みのような嫌な匂いとして伝わってしまうことがあるのです。
バンコクで出会った「諦めきれない人」
私がタイ・バンコクで働いていた頃、少し風変わりな日本人が集まる会社に所属していました。世界を旅した人、海外留学を経て流れ着いた人など、どこか「主流から外れた」人たちです。
最初は価値観が近く、楽しく付き合えていました。ところが時間が経つにつれ、彼らから独特の「匂い」を感じることが増えていったのです。
特に印象に残っているのは、とある中年の男性でした。彼は日本で学者や教授の道を志したものの挫折し、中年になってタイへ移住してきた人物です。知識も教養も豊かで、英語も堪能。尊敬できる点が多くありました。
しかし、会社で従事していた翻訳の仕事は、おそらく彼が本当に望んでいたものではありませんでした。そのためか、彼は口には出さずとも常に不満げな態度を見せており、それが私には**「諦めきれない匂い」**として感じられたのです。
匂いが消える時 ― 落ち着きか、無風か
不思議なことに、夢や希望を完全に諦めてしまった人からは、この匂いは感じられません。燃えるものを失い、ただ静かに現実を受け入れている。そうした人は、むしろ落ち着いた人物として映ることすらあります。
つまりこの匂いは、不快さと希望の証の両方を併せ持つものなのです。
まだ心の奥に生きている何かがあるからこそ、匂いとなって滲み出るのです。
挑戦を続ける人間の強さ
挑戦の道は厳しく、芸術や学問、ビジネスのように才能や運に左右される分野ではなおさらです。『白い巨塔』に描かれた医師の世界のように、限られたポストを巡る競争が常に存在し、多くの人は挫折を経験します。
それでも、私は思います。
冷めた目で「どうせ無理だ」と構える人よりも、たとえボロボロになっても挑戦を続ける人の姿こそが力強い、と。
諦めきれないからこそ放たれる匂いは、まだその人が生きている証です。それは人間らしい矛盾や未練、そして心の奥に残る残り火なのです。
この残り火を抱えながらも歩みを止めない人――そこにこそ、人間の本当の強さがあるのではないでしょうか。