私は東南アジアで約10年暮らしていました。タイ、ベトナム、ラオスの3カ国でサラリーマンとして働き、決して楽しいことばかりではなく、苦労もたくさんありました。しかし、振り返れば非常に濃密で、人生に深い意味をもたらしてくれた時間だったと思います。
そんな私が日本に帰国して最も驚いたのは──日本があまり変わっていなかったことでした。
成熟した国、日本
もちろん細かな変化はあります。たとえばセブンイレブンで100円ちょっとのコーヒーが買えるようになったのは、かつてはなかった便利なサービスです。
しかし社会全体の空気や生活のリズムを見渡すと、驚くほど大きな変化はありません。
経済的・社会的にダイナミックな動きがあったのは、高度経済成長期やバブル期まで。バブル崩壊以降は、安定したまま足踏みしているように感じられました。
浦島太郎とは逆の体験
日本の民話「浦島太郎」では、竜宮城から地上に戻った主人公が、大きく変わってしまった世界に驚きます。
しかし私の場合は逆でした。10年ぶりに日本に戻ってみると、**「あれ、ほとんど変わっていない」**という驚きに包まれたのです。
まさにこれが私の言う「逆浦島太郎現象」でした。
変わらないことの安心感と物足りなさ
変化の少なさは、安心感を与えてくれる一方で、少し物足りなさも残しました。
「もう少し変わっていてもよかったのでは」と思う自分もいたのです。
安定した国に帰る安堵と、刺激の少なさへの退屈感。相反する感情が同時に湧いてくるのは不思議な体験でした。
海外で求められた「日本らしさ」
海外生活でもう一つ印象的だったのは、逆に日本らしさを求められたことです。
日本のビジネスマナーは細かく窮屈です。名刺交換や接客作法、入室順序まで厳しく求められる。海外に出ればそれから解放されると思っていました。
しかし現実は違いました。周囲からは「日本人だからこそきちんとして欲しい」と期待される。最初は不満でしたが、結局はその文化に適応するしかありませんでした。これは日本社会の圧力が、国境を越えて追いかけてきたようにも思えます。
まとめ:変わらない日本と逆浦島太郎現象
私にとっての逆浦島太郎現象とは、変わらない日本に驚いたことです。
海外経験者同士で話すと、この「不変への驚き」は共感されることが多く、普遍的なテーマだと感じます。
あなたはどうでしょうか。
もし長く海外に暮らした後、母国に戻ったとしたら──
「大きく変わっていて驚く」
「全然変わってなくて驚く」
どちらを体験すると思いますか?