今日のテーマは、日本社会で時折聞こえてくる不思議な言葉――
「日本人は外資企業に就職するな」。
外国人の方が聞いたら、こう思うかもしれません。
「働く場所を選ぶのは個人の自由では?」と。
しかし、この言葉の背後には、現在の日本が抱える構造的な問題、
そして「国」と「個人」をめぐる深い心理的な断層が潜んでいます。
経済の理屈ではなく、感情の問題である
「外資に行くな」という主張は、一見すると経済的な議論のように聞こえます。
「外国企業で働くと、国の力が弱まる」「税金で教育した若者が外国の利益に貢献してしまう」。
確かに、表面的には筋が通っているように見えます。
しかし、現実を冷静に見れば、その理屈は成り立ちません。
外資企業で働く人の多くは日本国内に住み、日本で納税し、日本で消費をしています。
つまり、経済的にはしっかり日本社会を支えているのです。
では、なぜ「外資に行くな」という声が根強いのか。
その正体は、理屈ではなく感情――もっと言えば、寂しさと劣等感です。
長年「日本企業こそが正義」と信じてきた人々にとって、
若者が次々と外資を選ぶ現実は、自らの信仰が崩れていくように見える。
それは「経済の敗北」ではなく、「アイデンティティの崩壊」なのです。
若者が外資を選ぶ理由は単純だ
日本の若者が外資に流れる理由は、決して国家への裏切りではありません。
**「まともに働ける環境を求めているだけ」**です。
今も多くの日系企業には、こんな慣習が残っています。
年功序列
長時間労働
上司への忖度
成果よりも印象で評価
新しいアイデアを出しても通らない
一方で、外資では成果が正当に評価されます。
言葉さえ通じれば、国籍も年齢も関係ない。
ワークライフバランスも柔軟で、休暇を取っても罪悪感を持つ必要がない。
だからこそ、彼らは外資に惹かれるのです。
それは「逃避」ではなく、生存の選択です。
問題は若者ではなく、変われない企業文化だ
外資に行く若者を責めるのは、筋違いです。
本当に変わらなければならないのは、外に出た彼らではなく、中に残る企業文化です。
もし日本企業が、
成果を正しく評価し、
チャレンジする人を支援し、
社員の時間と自由を尊重する
そんな環境を整えることができれば、
誰も「逃げる」ように外資へ行く必要はなくなるでしょう。
若者は国を捨てているのではなく、
変わらない上司と制度を捨てているのです。
「閉じ込める国益」から「循環する国益」へ
今の時代、「国益」とは人を囲い込むことではありません。
むしろ、人が自由に世界を循環することこそが、
長期的に国を豊かにする力になります。
海外で働く日本人が、異文化の中で苦労し、学び、
その経験を日本に持ち帰る――それは「流出」ではなく「還流」です。
外で学んだ知見を日本企業に還元したり、
新しい事業を起こす人も少なくありません。
彼らは国を離れたのではなく、外から日本を強くしているのです。
「外資に行くな」という国ほど、出ていきたくなる
「外資に行くな」という声が上がる国は、
往々にして「出ていきたくなる国」です。
問題は人ではなく、構造にあります。
変わらなければならないのは、働く個人ではなく、働かせ方を決める側です。
国家の強さとは、国民を縛る力ではなく、
自由に動く個人を支え、いつでも帰れる場所を整える力です。
結び──自由を恐れず、誇りを持って出よ
私たちが目指すべき社会は、
「どこで働くか」を自由に選べる社会です。
愛国とは、国にしがみつくことではなく、
国をより良くするためにどこででも努力できること。
外資で働く日本人は、国を出た叛逆者ではない。
彼らは、外から日本を磨く修行者です。
彼らが再び帰ってきたとき、
「よく戻った」と誇りを持って迎えられる国であってほしい。
それが、本当の意味で「強い国」の姿なのではないでしょうか。