今日は、現代日本の構造的な問題を象徴するテーマ、
**「バブル世代の小利口ぶり」**について掘り下げてみたいと思います。
これは決して特定の世代を攻撃する話ではありません。
むしろ、日本という国の性質がどのように作られ、どのように停滞してきたのかを理解するための重要な視点です。そして、これからの私たちがどのような思想や覚悟を持つべきかを考えるための「鏡」でもあります。
■ 崩壊寸前の年金制度と世代間の不平等
まず、日本社会の根底にある大問題として、公的年金の構造的な限界があります。
日本の年金制度は「賦課方式」。
つまり、
働いている現役世代が、高齢者の年金を支える仕組み
です。
昭和の頃、若い人口は多く、高齢者は少ない。
「7人で1人の高齢者を支える」という、制度として理想的なバランスでした。
しかし現在はまるで別世界です。
少子化
非婚化
晩婚化
人口の急減
寿命の延び
これらの影響で、今や現役世代2人ほどで1人の高齢者を支える比率になっています。
これは、制度としてほぼ限界です。
そのため若い世代ほど、
支払う保険料は増える
将来受け取れる年金は減る
という、明らかな世代間の不平等を背負っています。
■ 制度の果実を最も豊かに享受した「バブル世代」
こうした背景を踏まえると、
バブル世代(1960〜70年代前半生まれ)が、
日本社会でどのような立ち位置にいたのかが分かってきます。
彼らは、
経済が最も豊かだった時代に就職
終身雇用
年功序列
退職金
手厚い社会保障
これら高度経済成長〜バブル期の恩恵を最も受けた最後の世代です。
もちろん、バブル世代には明るく人当たりが良く、まっとうな人が多いのも事実です。
しかし同時に、時代背景から生まれた
**独特の“処世術としての小利口さ”**を持ち合わせているのも特徴です。
■ 「小利口ぶり」は頭の良さではなく“空気の生存術”
ここで言う「小利口」とは、決して「賢い」という意味ではありません。
それはむしろ、
周囲を荒立てず、ほどよく自分を守るための生活技術
です。
具体的には、
深い議論を避ける
重い責任の場に入らない
結論を曖昧にして場を丸く収める
冗談を挟んでシリアスを回避する
自分の損にならないように動く
こうした“場を穏やかに保つ技術”が、強く染み付いているのです。
言い換えれば、
現状維持を最も優先する価値観
です。
バブル期は、会社に従順でありさえすれば、一生がある程度保証されました。
上司に気に入られれば、あとは流れに乗るだけで昇格し、
定年までとりあえず安定を得られました。
この“ぬるま湯の時代”が、小利口さの温床になったのです。
■ 日本が「ゆっくりと止まった」原因の一つ
しかしこの小利口さは、社会全体を見ると決してプラスばかりではありません。
改革を避ける
変化に慎重すぎる
新しいことを拒む
波風を立てない
リスクを取らない
こうした価値観が、組織の上部に長く居座った結果、
日本は次第に競争力を失い、
「失われた30年」へと突入しました。
バブル世代そのものを責める話ではありません。
ただ、
彼らの価値観が日本の停滞に大きく影響したことは事実なのです。
■ 令和の世代に求められるものは「小利口さ」ではない
では、現代を生きる若い世代に必要なものとは何か?
少なくとも、
バブル世代の“小利口な処世術”ではありません。
なぜなら今の日本には、
終身雇用は事実上消滅
年功序列は崩壊
退職金制度は縮小
年金制度は限界
経済成長は鈍化
という現実があるからです。
守ってくれる会社も、国も、制度もない。
では何が必要なのか?
答えは明確です。
■ 令和の時代に必要なのは「思想と覚悟」
今の時代に求められているのは、
自分の人生を主体的に設計する思想と覚悟
自分の足で立つための哲学
これです。
国や会社に依存する生き方は、もはや成立しません。
自分の頭で考え、
主体的に選び、
自分の人生に責任を持つ。
バブル世代のような「空気を読むための小利口さ」ではなく、
自分の思想
自分の戦略
自分の覚悟
これらを持つことが、
これからの時代の生存戦略になります。
■ 結論:バブル世代は“証拠”である
バブル世代の小利口ぶりは、
単なる批判対象ではありません。
それは、
日本という国がどう停滞したかを説明する“歴史的証拠”
です。
そして私たちは、その証拠から学び、
全く別の生き方を選べる世代でもあります。
世代間の構造を理解したうえで、
自分の人生を自分の思想で設計すること
覚悟を持って生きること
これこそ、令和世代に求められる唯一の“前向きな反抗”なのです。