ゆるさを許せない人の会話が、私たちを疲弊させるのはなぜか?

2025年12月16日火曜日

コミュニケーション

t f B! P L

私はサラリーマン時代、個人向けセールスから法人営業まで、人とのコミュニケーションが厳しく問われる仕事を長く経験してきました。

営業の現場では、会話に「余白」はほとんど許されません。
質問には正確に答える。
報告は簡潔にまとめる。
論点をずらさず、必要なことだけを話す。

そこでは、会話はほぼフォーマット化された作業です。
これは仕事である以上、当然でもあります。情報伝達の正確さと効率性が最優先される場では、感情や脱線はノイズでしかありません。

問題は、この会話の厳しさを、そのまま日常にまで持ち込んでしまう人が少なくない、という点です。

日常会話に論理を持ち込む人の息苦しさ

「質問には質問で答えろ」
「話を脱線させるな」
「感想じゃなくて事実を言え」
「結論を先に言え」

こうした要求を、日常会話の場でも無意識に突きつけてくる人がいます。

私は、このタイプの会話に強い違和感を覚えます。
なぜなら、会話とは本来、もっと曖昧で、もっと揺らいでいていいものだからです。

人は気分によって、質問とは少しズレた話をしたくなることがあります。
答えそのものより、そこから派生した感想を言いたいこともあります。
あるいは、その場では本音を語りたくない時だってある。

こうした感情の揺れや曖昧さをすべて「間違い」と見なしてしまうと、会話は一気に緊張し、息苦しいものになります。
結果として、話しているだけでどっと疲れるのです。

「ゆるさ」を許せない会話は、人を消耗させる

ゆるさを許せない人は、会話を常に「正解・不正解」で裁こうとします。
その瞬間、会話は交流ではなく、チェック作業に変わります。

人は監視されていると感じた瞬間、心を閉じます。
言葉を選び、間違えないように気を張り続けます。
それが続けば、疲弊するのは当然です。

本来、会話とは心を緩めるためのもののはずなのに、
逆に神経をすり減らす行為になってしまう。
ここに、大きなねじれがあります。

家庭を壊す「会社人間」の会話術

この問題は、個人間の違和感にとどまりません。
実は、日本の家庭にも深く影響しています。

熟年離婚が増えている理由の一つに、
定年後の夫が家庭に会社の会話文化をそのまま持ち込むことがあります。

何十年も企業社会で生きてきた人ほど、
「報告・連絡・相談」
「主張には根拠」
「話には論理」
という思考様式が体に染みついています。

それ自体は、会社では正解でした。
しかし、それを家庭に持ち込むと、一気に歯車が狂います。

家庭に必要なのは、正確な報告ではありません。
必要なのは、
どうでもいい話
意味のない雑談
感情の共有
沈黙を含んだ空気
です。

妻がただ気持ちを聞いてほしいだけの時に、
夫が問題解決を始める。
少し話が逸れただけで、
「それ、今関係ある?」と切り返す。

こうした積み重ねは、妻にとって
「管理されている」
「評価されている」
という感覚を生みます。

会社では有能だった会話術が、家庭では破壊的になる。
これが、会社人間の末路です。

会話は「正しさの協議」ではない

日本の企業社会では、論理的に話せない人間は評価されません。
そのため、多くの人が「正しく話すこと」に必死になり、
気づかぬうちに情緒を削ぎ落としていきます。

しかし、私はこう考えます。

会話とは、
正しさをすり合わせる場ではなく、距離感とリズムを共有する行為です。

日常会話に必要なのは、完璧な論理ではありません。
雑談や脱線、意味はなくても温度のあるやり取りです。

ゆるく話せるということは、
お互いが安心している証拠であり、
信頼が成立しているサインでもあります。

家庭、友人関係、恋愛。
どんな人間関係でも、この「ゆるさ」が失われた瞬間、関係は硬直し、やがて壊れていきます。

会話を正しくしようとする前に、
まずは緩めること。
それができるかどうかが、人間関係の寿命を決めているのかもしれません。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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