今日は、日本のビジネス文化に深く根を張っている「ゴルフ」という習慣について考えてみます。
ゴルフはしばしば、親睦や雑談の場、コミュニケーションの潤滑油として語られます。しかし私は、この説明にずっと違和感を抱いてきました。
結論から言えば、日本企業におけるゴルフは雑談ではありません。
それはむしろ、**忠誠度を測るための「踏み絵」**に近いものです。
江戸時代の踏み絵が測っていたもの
踏み絵とは、江戸時代にキリスト教徒を見つけ出すために使われた制度です。
キリストやマリアの絵を地面に置き、人々に踏ませる。
ここで重要なのは、踏み絵が思想を調べる試験ではなかったという点です。
幕府が本当に知りたかったのは、「心の中で何を信じているか」ではありません。
問われていたのは、
命令に従うかどうか。
態度として服従できるかどうか。
たとえ内心で信仰を持っていても、絵を踏めば生き延びられた。
つまり踏み絵とは、信条ではなく忠誠の姿勢を測る装置だったのです。
企業におけるゴルフの役割
この構造は、現代日本企業におけるゴルフと驚くほど似ています。
ゴルフで問われているのは、
・ゴルフが好きか
・会話がうまいか
・スコアが良いか
そういったことではありません。
実際に試されているのは、次のような点です。
休日(土日)を会社のために差し出せるか
早朝からの拘束を当然として受け入れられるか
時間とお金を自腹で負担できるか
上下関係を前提に、それでも笑顔で振る舞えるか
これは能力試験ではありません。
忠誠度テストです。
なぜ「雑談」では代替できないのか
昼休みの雑談や、短時間のコーヒーブレイクであれば、
参加のコストは低く、誰でも対応できます。
しかしゴルフは違います。
丸一日を拘束し、体力と金銭を消費させる。
ここで測られているのは、
話の面白さでも、人格の魅力でもなく、
どこまで会社の方向に自分を差し出せるかという姿勢です。
特に日本の製造業では、
・製品知識
・現場理解
・業務遂行能力
これらを満たした上で、さらに
「ゴルフにも付き合えるか」
という条件が重ねられます。
つまり、
「仕事ができる」だけでは足りず、
私生活まで含めて会社に差し出せるかが問われる構造なのです。
私がゴルフから逃げ続けた理由
私自身、かつてタイで製造業の法人営業をしていた頃、
上司や取引先から何度も「ゴルフは必須だ」と言われました。
雑談のたびに、
「なんでゴルフやらないの?」
と聞かれる。
日本人同士の空気では、
ゴルフをやらないこと自体が不自然でした。
最終的に練習場に数回行ったことはありますが、
私は最後まで本格的にゴルフを始めませんでした。
言い換えれば、踏み絵を踏まなかったのです。
問題はゴルフではなく「評価の仕組み」
誤解してほしくないのは、
ゴルフそのものを否定したいわけではないという点です。
ゴルフが純粋に好きで、
自発的に楽しんでいる人も当然います。
問題なのは、
ゴルフに参加しない人間を「協調性がない」と評価する構造です。
近年、「雑談力」「コミュニケーション能力」が重要だと言われますが、
日本企業で実際に評価されているのは、
会話の内容や人間的魅力ではありません。
評価されているのは、
上下関係を受け入れ、時間と私生活を差し出せるかという点です。
私はこれを、
「ゴルフ・スキル」ではなく「ゴリスキル」
と呼んでいます。
ゴルフは現代の踏み絵である
ゴルフは雑談ではありません。
それは、現代日本に残る企業版の踏み絵です。
この構造を理解しないまま、
「なぜ評価されないのか」
「なぜ息苦しいのか」
と悩み続けると、人は消耗します。
踏み絵は、踏まない人を排除します。
しかし、踏むか踏まないかを自覚的に選ぶことはできます。
そのためにも、
ゴルフという習慣が何を測っているのか。
それを見誤らないことが、現代日本で働く上では欠かせないのです。
それでは、また。