私たちは日常的に、何の違和感もなく「サラリーマン」という言葉を使っています。
しかしこの言葉が、私たち一人ひとりの「個人としての輪郭」を、静かに削り取ってきたとしたらどうでしょうか。
今回は、日本社会に深く根付いたこの呼称が、どのように人の自己認識を形づくってきたのかを考えてみます。
1. 仕事の中身が消える、奇妙な肩書き
世の中には、医師、弁護士、設計士、調理師、エンジニアなど、
名前を聞けば「何をしている人なのか」が即座に伝わる職業が数多くあります。
それに対して、「サラリーマン」はどうでしょうか。
この言葉は、
仕事内容や専門性ではなく、「給料をもらっている」という報酬形態だけで人を定義する言葉です。
本来、仕事とは技能・知識・経験の積み重ねによって成り立つものです。
しかし「サラリーマン」という呼称は、それらをすべて覆い隠し、
人を「給与所得者」という一枚のラベルにまとめてしまいます。
結果として、
「何をしている人なのか」ではなく、
「雇われているかどうか」だけが前面に出る。
これは、かなり特殊な言語設計です。
2. 会社に預けられたアイデンティティ
日本の雇用構造では、
専門性や職能が「個人」ではなく「会社」に紐付けられる傾向が強くあります。
そのため、
「私は〇〇の専門家です」
ではなく、「〇〇会社に勤めています」
と、組織名で自分を説明することが一般化しました。
この構造の中で磨かれやすいのは、
市場で通用するスキルよりも、
社内の空気を読む力
上司の意向を察する力
組織内で摩擦を起こさない振る舞い
といった、その会社の中だけで有効な能力です。
これは短期的には合理的ですが、
長期的には次のようなリスクを孕みます。
自己説明の放棄
会社名で名乗ることは楽ですが、それは「自分が何者か」を語る訓練を放棄することでもあります。空洞化
定年退職や離職によって会社名が外れた瞬間、
自分を説明する言葉も同時に失われてしまう。
定年後に急に元気を失う人が多いのは、
個人の性格の問題というより、
こうした社会構造の帰結と見る方が自然でしょう。
3. 「自分は何をしている人間か」を取り戻す
「サラリーマン」という言葉は、非常に便利です。
しかし同時に、十人十色の個人を、雑に一括りにしてしまう言葉でもあります。
もちろん、会社に属することや、給料をもらうこと自体が悪いわけではありません。
問題は、それだけで自分を語った気になってしまうことです。
重要なのは、
組織に属していてもなお、
自分は何を作っているのか
どんな価値を提供しているのか
どんな技能を積み重ねてきたのか
を、自分の言葉で説明できるかどうかです。
もし「サラリーマン」という呼称に、
言いようのない違和感を覚えたことがあるなら、
それはあなたが「個人としての仕事」を求めているサインかもしれません。
結びに
便利すぎる言葉は、思考を止めます。
「サラリーマン」という言葉も、その一つです。
この記号に安住することは楽ですが、
そこに長く留まるほど、
自分自身の輪郭は薄れていきます。
たとえるなら、「サラリーマン」という言葉は、
あらゆる個性を塗り潰す灰色の制服のようなものです。
それを着ていれば社会に溶け込むのは簡単です。
しかし、脱いだときに何を着ればいいのか分からなくなる前に、
少しずつでも、自分だけの私服――
つまり、自分の専門性や言葉を用意しておく必要があります。
会社員であることと、
「個人として空洞化しないこと」は、両立できるはずです。