「サラリーマン」という言葉は、私たちの「個」をどこへ連れていったのか

2026年1月12日月曜日

サラリーマン

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私たちは日常的に、何の違和感もなく「サラリーマン」という言葉を使っています。

しかしこの言葉が、私たち一人ひとりの「個人としての輪郭」を、静かに削り取ってきたとしたらどうでしょうか。

今回は、日本社会に深く根付いたこの呼称が、どのように人の自己認識を形づくってきたのかを考えてみます。


1. 仕事の中身が消える、奇妙な肩書き

世の中には、医師、弁護士、設計士、調理師、エンジニアなど、
名前を聞けば「何をしている人なのか」が即座に伝わる職業が数多くあります。

それに対して、「サラリーマン」はどうでしょうか。

この言葉は、
仕事内容や専門性ではなく、「給料をもらっている」という報酬形態だけで人を定義する言葉です。

本来、仕事とは技能・知識・経験の積み重ねによって成り立つものです。
しかし「サラリーマン」という呼称は、それらをすべて覆い隠し、
人を「給与所得者」という一枚のラベルにまとめてしまいます。

結果として、
「何をしている人なのか」ではなく、
「雇われているかどうか」だけが前面に出る。

これは、かなり特殊な言語設計です。


2. 会社に預けられたアイデンティティ

日本の雇用構造では、
専門性や職能が「個人」ではなく「会社」に紐付けられる傾向が強くあります。

そのため、

  • 「私は〇〇の専門家です」
    ではなく、

  • 「〇〇会社に勤めています」

と、組織名で自分を説明することが一般化しました。

この構造の中で磨かれやすいのは、
市場で通用するスキルよりも、

  • 社内の空気を読む力

  • 上司の意向を察する力

  • 組織内で摩擦を起こさない振る舞い

といった、その会社の中だけで有効な能力です。

これは短期的には合理的ですが、
長期的には次のようなリスクを孕みます。

  • 自己説明の放棄
    会社名で名乗ることは楽ですが、それは「自分が何者か」を語る訓練を放棄することでもあります。

  • 空洞化
    定年退職や離職によって会社名が外れた瞬間、
    自分を説明する言葉も同時に失われてしまう。

定年後に急に元気を失う人が多いのは、
個人の性格の問題というより、
こうした社会構造の帰結と見る方が自然でしょう。


3. 「自分は何をしている人間か」を取り戻す

「サラリーマン」という言葉は、非常に便利です。
しかし同時に、十人十色の個人を、雑に一括りにしてしまう言葉でもあります。

もちろん、会社に属することや、給料をもらうこと自体が悪いわけではありません。
問題は、それだけで自分を語った気になってしまうことです。

重要なのは、
組織に属していてもなお、

  • 自分は何を作っているのか

  • どんな価値を提供しているのか

  • どんな技能を積み重ねてきたのか

を、自分の言葉で説明できるかどうかです。

もし「サラリーマン」という呼称に、
言いようのない違和感を覚えたことがあるなら、
それはあなたが「個人としての仕事」を求めているサインかもしれません。


結びに

便利すぎる言葉は、思考を止めます。
「サラリーマン」という言葉も、その一つです。

この記号に安住することは楽ですが、
そこに長く留まるほど、
自分自身の輪郭は薄れていきます。


たとえるなら、「サラリーマン」という言葉は、
あらゆる個性を塗り潰す灰色の制服のようなものです。

それを着ていれば社会に溶け込むのは簡単です。
しかし、脱いだときに何を着ればいいのか分からなくなる前に、
少しずつでも、自分だけの私服――
つまり、自分の専門性や言葉を用意しておく必要があります。

会社員であることと、
「個人として空洞化しないこと」は、両立できるはずです。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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