AI動画に癒やされる時代。その裏で静かに変化していく「倫理」のかたち

2026年2月11日水曜日

現代社会

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近年、SNSにはAIによって生成された動物動画が大量に流れています。思わず笑ってしまうようなコミカルな動きや、人間のような表情を見せる動物たち。こうした映像は、多くの場合、無害で心を和ませるコンテンツとして消費されています。

しかし、この現象は単なる娯楽の拡張にとどまりません。AI動画は、私たちが無意識に持っている倫理観の土台そのものに、静かな影響を与え始めている可能性があります。


「壊れない存在」に慣れていくという変化

AIで作られた存在は、疲れず、傷つかず、老いることもなく、死ぬこともありません。そこには世話の負担も、責任も、取り返しのつかない結果も存在しません。

本来、人間の倫理は「相手が実在している」という前提の上に成立しています。相手には痛みがあり、限界があり、不可逆の時間の中に生きています。だからこそ、人は慎重になり、配慮し、関係の重みを感じます。

しかし、壊れない存在に長時間触れ続ける環境では、「他者は消耗しない」「関係はリセットできる」という感覚が、ゆっくりと日常の前提になっていきます。これは意識的な価値観の変化ではなく、感覚レベルでの変化です。


倫理は「摩擦」から生まれる

現実の人間関係や、動物との共生には、必ず摩擦が存在します。思い通りにいかない瞬間、面倒な手間、予測不能なトラブル。こうした要素を引き受ける経験が、「他者と生きる」という倫理感覚を形成します。

AI空間では、この摩擦が極限まで削ぎ落とされています。拒絶も、疲労も、関係の重さも存在しません。そこには快適さがありますが、同時に、倫理が成立するための土壌も存在しません。

倫理は理念や道徳教育だけで形成されるものではなく、むしろ不快さや負担、制御不能性の中で育つものです。摩擦が消える環境では、倫理は必要性を失っていきます。


AIへの接近は「逃避」ではなく「適応」でもある

AIコンテンツへの依存を、単純な逃避として断定することはできません。現代社会の人間関係は高度に複雑化し、常に配慮と自己調整を求められます。

失敗への恐怖、評価への不安、関係維持の疲労。こうした状況の中で、何も要求せず、裏切らず、常に安定して存在するAIは、心理的な緩衝装置として機能します。

これは冷酷さの結果ではなく、むしろ社会構造への自然な適応とも言えます。


技術ではなく、人間の変化として捉える

この問題は、AI技術そのものの善悪ではありません。本質は、AIと共存する中で、人間の感覚がどの方向に変化していくのかという点にあります。

AIに触れ続けることで弱まる可能性があるのは、善悪判断そのものではなく、「実在する他者の重さを引き受ける感覚」です。

快適さと引き換えに、私たちは何を手放しつつあるのか。AIを使うか使わないかという二択ではなく、人間の感覚の変化を自覚できるかどうかが、これからの時代の分岐点になります。




Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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