世の中には、驚くほど対照的な人間集団があります。
一方は、本能が剥き出しの世界。
金。
勝負。
異性。
序列。
力。
そうしたものが、ほとんど隠されることなく露出している世界です。
もう一方には、洗練された言葉で精神性を語る世界があります。
調和。
癒やし。
自己成長。
宇宙。
波動。
こちらでは逆に、人間の生々しい欲望が、綺麗な言葉で包み込まれていきます。
現代社会を見ていると、人間はこの二つの極端を行き来しているようにも見えます。
今回は、「身体性」と「知性」の分裂、そしてその先にある“成熟”について考えてみたいと思います。
「剥き出しの身体」が支配する世界
私が若い頃に見た訪問販売の世界は、非常に身体的な空間でした。
そこには、大学的な知性とは全く違う価値観がありました。
声が大きい。
度胸がある。
押しが強い。
負けを認めない。
そして、欲望を隠さない。
金を稼ぎたい。
勝ちたい。
異性にモテたい。
上に行きたい。
そうしたエネルギーが、むき出しで存在していたのです。
今思えば、あの空間には「生き物としての人間」がいました。
大学の教室のような、どこか抽象化された世界とは違う。
汗。
怒声。
競争。
プライド。
そこでは、“身体”が支配していたのです。
もちろん、その世界には強烈な生命力があります。
しかし同時に、知性が育ちにくい。
本を読む文化は弱く、
哲学もなく、
思考を深める習慣も薄い。
身体性が強すぎると、人間は「今この瞬間の欲望」に引っ張られやすくなります。
つまり、
生きる力は強いが、視野が狭くなりやすい。
それが、身体性に偏った世界の特徴でした。
「去勢された知性」の世界
その対極にあるのが、自己啓発やスピリチュアルの世界です。
こちらでは、人間の生々しさが綺麗に加工されます。
嫉妬は「学び」になる。
欲望は「エネルギー」になる。
執着は「手放し」に変換される。
言葉は美しい。
一見すると、非常に知的で成熟した世界に見えます。
しかし私は時々、この空間に妙な違和感を覚えることがあります。
それは、
「人間の身体」が消えている
ように見えるからです。
性欲。
競争心。
怒り。
支配欲。
見栄。
本来、人間にはそうした泥臭い部分が確実に存在します。
しかし、精神性に偏りすぎた世界では、それらが「低次元なもの」として処理されやすい。
すると、人間は綺麗になる代わりに、“生き物としての迫力”を失っていく。
つまり、
知性はあるが、生命力が薄い。
これが、「去勢された知性」の危うさです。
現代社会には「中間」が少ない
興味深いのは、現代日本では、この二つの極端の間にある場所が非常に少ないことです。
身体性が強い世界は、反知性的になりやすい。
逆に、知性を重視する世界は、身体性を抑圧しやすい。
結果として、
- チンピラ的身体性
- スピリチュアル的精神性
の両極端へ、人間が分裂していく。
しかし本来、人間はそのどちらでもありません。
人間は、
- 欲望を持つ身体
- 考える知性
の両方を持った存在です。
つまり、本当に難しいのは、
「身体性を失わずに知性を持つこと」
なのです。
「成熟」とは、両方を引き受けること
私は、本当の成熟とは、「綺麗になること」ではないと思っています。
むしろ、
自分の中の欲望や醜さを理解した上で、
それを知性によって扱える状態。
それが成熟ではないでしょうか。
身体を否定しない。
しかし身体だけにも支配されない。
知性を持つ。
しかし知性だけで人間を裁かない。
このバランスは非常に難しい。
だからこそ、多くの人は極端へ逃げます。
身体性だけの世界へ行くか、
精神性だけの世界へ行くか。
しかし、そのどちらかだけでは、人間はどこか歪んでしまう。
「綺麗すぎる人間」は、どこか不自然である
現代では、「感じの良い人」「優しい人」「意識の高い人」が理想化されがちです。
しかし、あまりにも綺麗すぎる人格には、逆に怖さもあります。
なぜなら、人間は本来、そんなに綺麗な存在ではないからです。
怒りもある。
嫉妬もある。
性欲もある。
支配欲もある。
それらを完全に否定すると、人間は“抽象的な何か”になってしまう。
一方で、それらを剥き出しにすれば、今度は暴力性へ傾く。
だから必要なのは、
「身体を持ったまま知性を持つこと」
なのだと思います。
去勢された知性でもなく、剥き出しの身体でもなく
現代社会は、極端な人格を量産しやすい構造になっています。
アルゴリズムは刺激を好む。
共同体は単純化を求める。
だから、人間も極端になりやすい。
しかし、本当に難しく、そして価値があるのは、
去勢された知性でもなく、
剥き出しの身体でもない、
その中間を引き受けることです。
欲望もある。
知性もある。
弱さもある。
理性もある。
そうした矛盾を抱えたまま、それでも崩れずに生きる。
それが、本当の意味での「成熟」なのかもしれません。