なぜ「叱るコーチ」が流行るのか ── 自由な時代に、人はなぜ叱られたがるのか

2026年6月11日木曜日

現代社会

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最近、

「叱るコーチ」

「厳しく指導します」

「甘えを許しません」

というようなサービスを目にすることがあります。

一見すると、少し時代に逆行しているようにも見えます。

今の社会では、パワハラや人格否定に対する目は非常に厳しくなりました。

職場でも学校でも、

むやみに叱ることは避けられるようになっています。

それなのに、なぜわざわざお金を払ってまで、

叱ってくれる人

を求める人がいるのでしょうか。

私はここに、

現代社会のかなり大きな矛盾が出ていると思います。

組織から「叱る」が消えた

かつての日本社会では、

叱られることは日常でした。

会社では上司に叱られる。

学校では先生に叱られる。

部活では先輩に叱られる。

家庭でも親に叱られる。

それが良かったと言いたいわけではありません。

むしろ、そこには理不尽も多くありました。

暴力。

人格否定。

怒鳴り声。

服従の強制。

そうしたものが「指導」の名の下に正当化されてきた面もあります。

だから、叱ることが制限されるようになったのは、社会の進歩でもあります。

しかしその一方で、

叱られる場そのものが消えた

という現象も起きました。

自由は意外と重い

現代人は、以前より自由になりました。

上司に怒鳴られにくい。

先生に殴られない。

会社に人生を握られにくい。

転職もしやすい。

独立もできる。

好きな生き方を選びやすい。

これは良いことです。

しかし自由には代償があります。

それは、

自分で自分を動かさなければならない

ということです。

誰も強制してくれない。

誰も怒鳴ってくれない。

誰も尻を叩いてくれない。

何もしなくても、誰も止めない。

この状態は、強い人にとっては快適です。

しかし自律が苦手な人にとっては、かなり苦しい。

自由は楽園ではありません。

自由は、自分を管理する責任でもあるのです。

叱咤激励が商品になった

そこで登場するのが、

有料で叱ってくれる人

です。

かつて職場や学校で無料で受けていた叱咤激励が、

今はサービスとして売られている。

これはかなり現代的な現象です。

組織の中では叱れない。

しかし人は叱られたい。

だから市場がその空白を埋める。

つまり、

叱ることが組織から市場へ移動した

のです。

これは単なるコーチングの話ではありません。

社会の機能が商品化されているのです。

なぜ人は叱られたいのか

では、なぜ人は叱られたいのでしょうか。

理由の一つは、

外部から圧をかけてもらった方が楽だからです。

自分で決める。

自分で続ける。

自分で反省する。

自分で改善する。

これはかなり大変です。

しかし誰かに叱られると、

自分で自分を動かす負担が少し軽くなります。

「やらなければならない」

という外部圧力が生まれるからです。

人は完全に自由だと、逆に動けなくなることがあります。

だから、

自由の負担を誰かに預けたくなる

のです。

安全に痛みを買う

もう一つ重要なのは、

有料の叱責は安全だ

ということです。

職場で上司に叱られる場合、

評価に響きます。

給与にも関係します。

昇進にも影響します。

人間関係にも傷がつきます。

つまり痛みが重い。

しかしコーチに叱られる場合、

こちらは顧客です。

嫌ならやめればいい。

距離も取れる。

お金を払っているので、関係は契約です。

つまり、

安全な範囲で痛みを買っている

のです。

これは非常に現代的です。

本物の支配は嫌だ。

しかし少しだけ厳しくされたい。

本物の傷は負いたくない。

しかし刺激は欲しい。

その欲求に、叱るコーチは応えているのです。

叱られることが目的になる

ただし、ここには危険もあります。

本来、叱られることは手段です。

行動を変えるため。

習慣を改善するため。

現実に向き合うため。

そのために叱責がある。

しかし現代では、

叱られること自体が目的になる

ことがあります。

叱られた。

厳しいことを言われた。

自分と向き合った気がした。

気合が入った気がした。

これで満足してしまう。

つまり、

行動の変化ではなく、

感情の処理として叱責を消費している

のです。

これは自己啓発本を読んで満足する構造にも似ています。

厳しさも消費される

現代社会では、優しさも商品になります。

癒しも商品になります。

そして厳しさも商品になります。

「甘えるな」

「本気でやれ」

「逃げるな」

「覚悟を持て」

こうした言葉は、ある種の刺激です。

聞いた瞬間は背筋が伸びる。

自分が変われる気がする。

しかし問題は、

その後に行動が変わるかどうかです。

厳しい言葉を浴びても、

生活設計が変わらない。

行動量が変わらない。

習慣が変わらない。

環境が変わらない。

それなら、厳しさはただの感情消費で終わります。

必要なのは叱責ではなく設計である

本当に人を変えるのは、

叱責そのものではありません。

行動設計です。

何をいつやるのか。

どの環境に身を置くのか。

何を減らすのか。

何を続けるのか。

どの仕組みで自分を動かすのか。

ここが変わらなければ、人は変わりません。

叱るコーチが有効になるとすれば、

叱った後に具体的な行動設計まで落とし込む場合です。

逆に言えば、

叱るだけなら、

それは一時的な刺激にすぎません。

自由な時代の不自由

現代は自由な時代です。

しかしその自由は、

人を軽くするだけではありません。

むしろ、

自分で自分を律しなければならない

という重さを生みます。

その重さに耐えられないとき、

人は誰かに叱られたくなる。

外部からの圧を買いたくなる。

厳しさを商品として求める。

ここに、

自由な時代の不自由

があります。

叱られることと、変わることは違う

最後に確認しておきたいのは、

叱られることと、

変わることは違う

ということです。

叱られたから偉いわけではありません。

厳しい言葉を受けたから成長したわけでもありません。

大切なのは、

その後に何が変わったかです。

行動が変わったのか。

習慣が変わったのか。

環境が変わったのか。

結果が変わったのか。

そこを見なければなりません。

叱るコーチが流行る背景には、

現代人の自律の難しさがあります。

しかし本当に必要なのは、

誰かに怒られることではなく、

怒られなくても動ける仕組みを作ることなのだと思います。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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