「みんな大変」という言葉は、本当に優しいのだろうか──適性という視点から仕事を考える

2026年6月27日土曜日

考えかた

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仕事の悩みを打ち明けたとき、こんな言葉を返されたことはないでしょうか。

「みんな大変なんだよ。」

「仕事なんて、誰だって我慢している。」

「楽な会社なんてないよ。」

こうした言葉には、相手を励まそうという気持ちがあるのでしょう。

しかし私は、この「みんな大変」という言葉には、一つの落とし穴があると思っています。

それは、苦労の質の違いを見落としてしまうことです。

苦労には「種類」がある

私たちは、苦労を量だけで考えがちです。

残業が多い。

仕事が忙しい。

上司が厳しい。

確かに、これらは大変なことです。

しかし、それとは別に、「その仕事そのものが自分に合っていない」という苦労があります。

同じ八時間働いていても、

ある人は疲れるだけで済みます。

別の人は、自分を偽り続けることで少しずつ心をすり減らしていきます。

外から見れば同じ仕事でも、本人が感じている負荷の質はまったく違うのです。

適性の中で苦労する人と、適性の外で苦労する人

仕事には適性があります。

営業が得意な人もいれば、研究開発が向いている人もいます。

人前で話すことが苦にならない人もいれば、一人で黙々と考えるほうが力を発揮できる人もいます。

適性の中にいる人も苦労します。

しかし、その苦労は技術や経験によって乗り越えられることが少なくありません。

一方で、適性の外にいる人は違います。

努力しても違和感が消えない。

頑張るほど疲弊していく。

毎日、自分ではない誰かを演じ続けるような感覚になる。

これは単なる仕事の大変さではなく、自分の存在そのものが環境と噛み合っていない苦しさです。

この二つを「どちらも大変だよね」と一括りにするのは、少し乱暴ではないでしょうか。

会社勤めが続くことも、一つの才能である

私たちは、長く会社勤めを続けられることを当たり前だと思いがちです。

しかし、それも一つの適性です。

組織のルールに合わせられる。

人間関係を調整できる。

多少の理不尽を受け流せる。

役割と自分自身を切り分けられる。

こうした力は、決して誰もが持っているものではありません。

だから会社勤めが続く人は、それだけで一つの資質を持っていると言えます。

逆に、それが難しい人がいることも、不思議ではありません。

「嫌だ」という感覚にも意味がある

日本では、目に見える病気には理解が示されるようになりました。

しかし、「どうしてもこの環境が合わない」という感覚は、今でも甘えとして片づけられることがあります。

もちろん、少し嫌だから辞めるという話ではありません。

問題なのは、環境との相性が根本的に合っていない場合です。

その状態を長く放置すれば、心身を壊してしまうこともあります。

「みんな嫌だけど頑張っている。」

その言葉は、ある人には正しくても、別の人には当てはまりません。

苦しみの原因が違うからです。

世界は一つの物差しでは測れない

私たちはつい、

努力したか。

我慢したか。

続けたか。

そんな一つの物差しで人を評価してしまいます。

しかし現実には、

適性。

感性。

価値観。

神経の特性。

育ってきた環境。

さまざまな要素が複雑に絡み合っています。

だから、人によって生きやすい場所も、生きづらい場所も違います。

おわりに

「みんな大変。」

この言葉は、ときに人を励まします。

しかし、ときには相手の苦しみを見えなくしてしまうこともあります。

本当に大切なのは、苦労の量を比べることではありません。

その人が、どのような環境で力を発揮できるのかを理解することです。

会社勤めが向いている人もいます。

独立したほうが力を発揮できる人もいます。

研究者として輝く人もいれば、営業として生き生きする人もいます。

どちらが優れているという話ではありません。

人にはそれぞれ異なる適性があり、その違いを認めることこそが、本当の意味で他者を理解する第一歩なのではないでしょうか。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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