最近、インターネットを見ていて息苦しさを感じることがあります。
動画を開けば似たようなサムネイル。
同じような話し方。
同じような編集。
誰もが「伸びる方法」を研究し、アルゴリズムに評価されることを目指しています。
もちろん、それは合理的な行動です。
しかし、その合理性の先で、私たちは少しずつ人間らしさを失っているのではないでしょうか。
昔は上司に、今はアルゴリズムに最適化する
昭和型の会社では、人は上司に最適化して生きていました。
仕事だけではありません。
飲み会に参加する。
休日のゴルフに付き合う。
時には引っ越しを手伝う。
評価するのは人間でした。
そのため、空気を読む力や人間関係を築く力も評価の対象になっていました。
もちろん窮屈な面もありましたが、そこには人間同士だからこその曖昧さや例外も存在していました。
一方、現代ではどうでしょうか。
私たちが向き合っている相手は、人間ではありません。
アルゴリズムです。
評価されるために人格まで最適化する
YouTube。
Instagram。
TikTok。
X。
あらゆるSNSで、人々は同じことを考えています。
「どうすれば再生されるのか。」
「クリック率を上げるにはどうすればいいのか。」
「最初の三秒で離脱されない方法は何か。」
その結果、多くの人が同じ方向へ進み始めます。
話すスピードは速くなる。
感情表現は大きくなる。
サムネイルは派手になる。
刺激はどんどん強くなる。
アルゴリズムは数字しか見ません。
クリック率。
視聴維持率。
再生時間。
そこに人格や事情はありません。
だから私たちも、その基準に合わせて自分自身を最適化していきます。
気がつけば、人格までもがアルゴリズム向けに設計され始めているのです。
インターネットは「金太郎飴」になった
本来、インターネットは自由な表現の場でした。
それぞれが好きなことを語り、それぞれの個性がありました。
しかし今では、多くのコンテンツが驚くほど似ています。
同じような編集。
同じようなテンポ。
同じような言葉遣い。
どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のようです。
これは偶然ではありません。
アルゴリズムに評価される形へ、多くの人が収束していった結果なのです。
最適化は、人間を豊かにするとは限らない
効率を追求することは悪いことではありません。
コストを減らし、時間を節約することには大きな価値があります。
しかし、人生そのものまで最適化しようとすると、どこか息苦しくなります。
人間は本来、非効率な生き物だからです。
遠回りをする。
失敗する。
無駄話をする。
寄り道をする。
理由もなく考え込む。
こうした一見無意味に見える時間が、人間らしさを育てています。
最適化によって削られてしまうのは、実はこうした部分なのかもしれません。
AI時代だからこそ価値を持つもの
これからAIはますます賢くなります。
平均的な文章。
平均的な動画。
平均的な回答。
こうしたものはAIが次々と生み出していくでしょう。
だからこそ、人間に残る価値は別のところにあります。
不器用さ。
偏り。
偶然性。
矛盾。
そして、簡単には説明できない人間臭さです。
効率だけでは生まれないもの。
最適化だけでは表現できないもの。
そうした要素こそが、AI時代において人間を人間たらしめる価値になっていくのではないでしょうか。
おわりに
私たちは、いつの時代も何かに最適化しながら生きています。
昔は会社や上司でした。
そして今は、アルゴリズムです。
しかし、本当に大切なのは、評価されるためだけに自分を作り変えることではありません。
評価されなくても、自分らしくあり続けられることです。
最適化は必要です。
ですが、それが人生の目的になった瞬間、人間は少しずつ機械に近づいてしまいます。
AIが進化する時代だからこそ、あえて遠回りをすること、不器用であること、そして人間らしく生きること。
その価値を、私たちはもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。