こんにちは。今日は、私たちが普段よく耳にする「コミュニケーション能力」について考えてみたいと思います。
コミュニケーション能力という言葉は、もう20年、30年、あるいはそれ以上前から日本でかなり重要視されてきたように感じます。特に近年では、ビジネスパーソンにとって必須の能力のように扱われていますね。仕事の能力があってもコミュニケーション能力が足りないと評価されにくかったり、逆にコミュニケーション能力さえあれば、多少仕事ができなくても上手く立ち回って出世できたりすることもあるようです。
だから、仕事の中身を頑張るよりも、コミュニケーションの方に重きを置いた方が良いのかと感じてしまう人もいるのかもしれません。
さて、この「コミュニケーション能力」という言葉ですが、聞いた瞬間は分かったような気になるのですが、その意味するところは人によって定義が違うのではないでしょうか。一般的には、「相手と適切に意思疎通を図る力」と定義できるようです。これも少し漠然としていますが、具体的には以下のような力が含まれると考えられています。
- 相手の話をしっかり聞く力(傾聴力)
- 自分の気持ちを分かりやすく伝える表現力
- 相手の気持ち(表情、声のトーンなど)を察する力
- 集団の中でうまく立ち振る舞い、調整していく力
- 場の空気を読む力
これらの要素は、言われてみれば「そんなの当たり前じゃないか」と感じるかもしれませんね。しかし、現代では非常に大切にされている能力です。なぜ重要なのかというと、コミュニケーションをしっかり行うことで、誤解やトラブルを未然に防ぐことができるからです。
コミュニケーション能力と「ごますり」の関係?
ただ、私はこのコミュニケーションスキルというものは、どうも「ごますり」につながるのではないかと感じています。それは、昔の日本と今の日本を比較するとわかることなのです。
昔、特に日本の男性の間では、あまりおしゃべりでないこと、つまり「男は黙って仕事をする」といったように、自己宣伝をしないことが美徳とされていた時代が長かったのです。
それが、ここ20年〜30年で大きく変わってきました。ただ黙々と仕事をしているだけではダメで、より一層自己宣伝に励み、自分がどれだけ能力があるか、有能か、集団のために尽くしているかといったことを積極的にアピールしないといけなくなりました。周りの人は、そうやってアピールしないと、その人がどれだけ優秀なのか分からない、という風潮になったためです。
昔であれば、自己宣伝ばかりしている人を見ると「けしからん」と感じるのが一般的だったようですが、今はそうではありません。自己アピールをすることに対し、あまり悪く捉えなくなっているのです。これは、ある種の厚顔無恥を肯定するような社会の風潮が出てきたこと、そして謙譲の美徳が薄れていることの現れだと私は感じています。
映画「日本一のゴマすり男」が示すもの
この変化を考える上で興味深いのが、1965年公開の映画「日本一のゴマすり男」です。故・植木等さん主演のコメディ映画で、どこにでもいるサラリーマンだった主人公が、ごますりの才能に目覚め、上司に気に入られてどんどん出世していくというストーリーです。
この映画が作られた1960年代の日本人は、まだごますりをする人に対して、それを揶揄(やゆ)したり、からかったりする精神がありました。つまり、「ごますりはかっこ悪いことだ」という共通認識が社会にあったからこそ、コメディとして成り立ったのです。
ところが、現代の日本社会ではどうでしょうか?会社の中で出世したい、上司から評価されたい、周りからすごいと思われたい、といった気持ちから自己アピールをしたり、周りの人に取り入ろうとごますりをしたりする行動を、誰もあまり批判しないのです。
これは、昔の日本と今の日本とで、ごますりや自己アピールに対する一般的な感覚や捉え方が、相当変化したことを示しています。
現在の多くの日本企業社会では、一人ひとりの個人が真面目に誠実にコツコツと仕事に向かって努力することよりも、頭の回転の速さや瞬発力といったものを使って人生を乗り切ることの方が「正しい」とされるようになってきている、と私は捉えています。
まとめ
このように、コミュニケーション能力という言葉の裏には、単なる円滑な意思疎通だけでなく、変化する社会の中で重要度を増した自己アピールや、かつては忌避されたごますりといった側面が含まれているのかもしれません。そして、それらを是とするか否かという、私たちの価値観そのものが、昔とは大きく変わってきていると言えそうです。
皆さんは、コミュニケーション能力と「ごますり」について、どのように感じますか?