私たちの人生は、選択と決断の繰り返しだと言われています。朝起きて何を食べようか、お昼はどこに行こうか、晩御飯は何を作ろうか、といった身近なことから、どの学校に進学するか、どこに就職するか、あるいは会社を辞めて起業するか、といった人生の節目における大きなイベントまで、毎日さまざまな決断をしています。
食事のような日常的な選択は、ほとんど直感的にパパッと決めていることが多いと思いますが、進学や就職といった人生を大きく左右する可能性のある重要な選択は、そう簡単には決められませんよね。
重要な決断を「誰かに相談する」ということ
さて、このような重要な意思決定をする際に、「誰かに相談する」という人もいると思います。もちろん、人の意見を聞くこと自体は悪いことではありません。しかし、人生における大きなイベントにおいては、あまり人に相談しない方が良いかもれません。
それはなぜでしょうか?
誰かに相談して決断し、もしその結果がうまくいかなかった場合、相談した相手を恨んでしまう可能性があるからです。
「あの時、あの人がああ言ったから、私はこうしてしまったんだ。そのせいでうまくいかなかったじゃないか」と、たとえ本人に直接言わなかったとしても、心の中で相手を責めてしまうことがあるのです。これは非生産的であり、未来に対してポジティブな結果をもたらさない行為だと言えます。
自分で決断する大切さ
一方で、自分で選んだ道であれば、たとえ失敗したとしても、結果を全て受け入れようと思えるものです。これは、誰かのせいにするのではなく、自分自身で責任を引き受けるという姿勢につながります。
私もなるべく大事なこと、大切なことは全て自分で決めて実行してきました。失敗も含めて自分の選択の結果として受け入れることができれば、誰かを恨むようなこともなくなります。もちろん、結果に対する責任を全て自分で受け入れるのは難しいことかもしれませんが、それができれば、より建設的に前に進めるのではないでしょうか。
相談される側の視点、そして組織での意思決定
誰かに相談して、自分が期待していた答えと違う答えが返ってきた時に、気分を害してしまうことがあるかもしれません。しかし、アドバイスを求めて相談しているのですから、自分の期待通りでない答えが返ってきたとしても、それで気分を害するのは筋違いです。相手の意見やアドバイスを、偏見なくフラットに受け入れるのはなかなか難しいことではありますが。
これらの話は、おそらく割と当たり前で、よく聞く話だと感じる方もいるでしょう。特に、組織に属さず一人で活動している人にとっては、自分で決断し、責任を負うことは当たり前のことかもしれません。
しかし、これが会社員、特に日系企業で長く働いている場合は、少し状況が変わってくることがあります。日系企業では、多くの場合、一人で仕事を進めることは少なく、周りの人に相談したり、会議を開いて関係者全員の合意を得てから物事を進めていくという意思決定プロセスが一般的です。
これは、多くの人の力を合わせてより大きな仕事を成し遂げられるという良い面もある一方で、この**「相談してから決める」という体質が身についてしまう**ことがあります。会社の中であればそれで良いのですが、この習慣が会社以外の個人の生活にも影響し、自分で決められない、優柔不断になったり、無責任な体質になったりすることもあります。これは、長年組織の中で働いていく中で、無意識のうちに身についてしまうことなのかもしれません。
会社に適応するということは、自分の意思よりも会社の意思や周りの人の考えに合わせることが求められることでもあります。逆に、相談せず独断で進めようとする人は、日系企業では受け入れられにくい傾向があるようです。日本企業に適応する人が、結果的に優柔不断になることもあるというのは、ある種の逆説的で悩ましい状況かもしれません。
まとめ
人生の大きな決断において、誰かに相談することには、うまくいかなかった場合に相手を恨んでしまうというリスクが伴う可能性があります。自分で選んだ道であれば、結果に対する責任を受け入れやすく、後悔しにくいものです。
もちろん、全ての相談が悪というわけではありませんが、特に重要な決断においては、最終的に責任を負うのは自分自身であるということを理解し、自分で考えて決断することが重要です。
もしあなたが何か大きな決断を迫られているなら、誰かに相談する前に、まずはご自身でじっくり考えてみることから始めてみてはいかがでしょうか。そして、もし相談するとしても、相手の意見はあくまで参考として聞き、最終的な決断とそれによって生じる結果には、自分で責任を持つ覚悟を持つことが大切だと私は考えます。