皆さんは、「環境が悪いと言い訳をするな、自分自身を変えなさい」という言葉を耳にしたことはありませんか? 日本のモチベーション系動画や自己啓発書、SNSなどで、このフレーズをよく見かけますよね。確かに、自分自身の意識や行動を変えることは、生きていく上でとても大切なことだと、誰もが感じることでしょう。
「自分を変える」の落とし穴と歴史の教訓
しかし、この「自分を変えなさい」という言葉が一人歩きしすぎると、思わぬ落とし穴にはまることがあります。それは、「相手や環境を変えよう」という発想が、ないがしろにされてしまうことです。
歴史に目を向けてみると、世界で起こった大きな変革や革命は、ほとんどが「相手を変える」という行動から始まっていることがわかります。
- 例えば、**フランス革命(1789年)**では、民衆が「悪いのは我々ではなく、国王や貴族という体制だ」と声を上げ、絶対王政という権力構造そのものを根本からひっくり返しました。
- アメリカ独立戦争も同様です。植民地の人々は、イギリスの支配に反発し、「相手が理不尽だ」と明確に断罪して、独立を掲げて戦いました。
- また、イギリスの産業革命以降の労働運動では、労働者が団結し、劣悪な労働環境や賃金を改善させるために、資本家に対して果敢に要求を突きつけてきました。
これらはいずれも、「自分を変えろ」という発想ではなく、「環境や相手を変える」という歴史的な挑戦の証なのです。
日本社会に根付く「我慢」の文化と、その影響
一方で、日本の明治維新は、革命と呼ばれることもありますが、根本的には異なるものでした。これは武士階級の入れ替えというトップダウンの改革であり、民衆が下から権力者に意義を唱えて社会を自発的に変えたわけではありません。その結果、日本社会には階層構造や従順さという文化が受け継がれてきたと言えるでしょう。
古くから「和を乱すな」「我慢こそ美徳」といった教えがあり、第二次世界大戦後の復興期も、従順さや忍耐力によって支えられてきました。この文化自体が悪いわけではありませんが、現代の労働環境や社会問題においては、「相手を変えよう」と声を上げにくい空気を作り出してしまっているのが現状です。その結果、多くの日本人が不満を内側に押し込め、「自己責任論」に縛られがちになってしまっているのです。
個人の問題か、社会の問題か?その見極めが重要
もちろん、個人の問題であれば「他人を変える前に自分を変える」という考え方が有効な場面もあります。例えば、個人的な貧しい状況から抜け出して成功するといったケースです。
しかし、これがブラック企業の問題、パワハラの問題、あるいは不合理な制度の問題といった、より大きな視点になった場合、それはもはや個人の問題ではありません。自分自身の問題ではなく、社会全体や組織の構造が原因である場合、ただ自分を責め続けるだけでは、精神的に疲弊してしまう可能性が高いのです。
「相手を変える勇気」こそが、社会を良くする原動力
私は、社会をより良くするためには、「相手を変える」という勇気と行動が不可欠だと考えます。歴史もまた、そのように動いてきました。
もし、自分がいる会社の上司や環境が悪いと感じるなら、それを変えようと声を上げるべきです。それが難しいのであれば、その環境から離れることも、一つの選択肢となります。
もちろん、自分を変えることは大切です。しかし、それは「変える価値がある環境」にいる時の話なのです。環境そのものが悪いのであれば、私たちに必要なのは、自分を責め続けることではなく、環境や相手に意義を唱える力を育てることではないでしょうか。
「本来変わらなければならないのは会社なのに、自分を変えるべきだという自己啓発の論理を、ブラック企業のようなケースにさえ当てはめてしまうこと」こそが、最大の問題なのです。この点を混同してはいけません。私たちは、**「相手を変えなければならない時もある」**ということを、今一度認識すべきだと思います。