あえて計画を立てないことが人生において有効に作用することもある

2025年8月16日土曜日

考えかた

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今回は、「あえて計画を立てない」というアプローチが、実は人生において有効に作用することもある、という少し意外なことについて書いていこうと思います。

計画を立てることが「正論」とされる背景

ビジネスの世界では、何かを始める際にまず計画を立てるのが一般的とされていますね。PDCAサイクルを回したり、SMARTな目標設定をしたりといった手法は、確かに大きなプロジェクトを進める際や、チームで動く場合には不可欠なものです。個人の場合でも、資格の勉強のように明確な目標がある場合は、試験日から逆算してスケジュールを立て、コツコツと取り組むのが基本中の基本と言えるでしょう。

計画を「立てない」という選択の可能性

しかし、時にはそれとは全く逆のアプローチ、つまり**「計画を立てない方がうまくいくこともあるのではないか」**という視点も有効であると私は考えています。新しいことに挑戦したり、スキルを身につけようとする際、最初から綿密な計画を立てないことがよくあります。なぜなら、その時点では「何が自分に向いているのか」「何が楽しいのか」が分からないことがほとんどだからです。

私の場合、小学生の頃にたまたま家にあったウクレレに挑戦したことがありました。将来に役立つかなど一切考えず、純粋に「面白そうだから」という衝動で始めました。その後ギターにも挑戦し、大学でギターサークルに入るなど、結果的に音楽が心の栄養となりました。このように、意味もなく、ただ衝動的に「面白そうだから」という理由で始めてみることが、最も良い結果に繋がる場合もあるのです。

セレンディピティの力と現代社会の落とし穴

このような、始めた時点では「何の役に立つのか」という問いに答えられないことでも、後々じわじわと効いてくることがあります。これがまさに**「セレンディピティ(偶然の出会いや発見の力)」**と呼ばれるものではないでしょうか。そして、このセレンディピティを得るためには、ある程度「無計画であること」を受け入れる姿勢が大切になります。

しかし、現代社会ではどうしても「何の役に立つのか」「どれくらい儲かるのか」といった価値基準に支配されがちです。「儲からなさそうだからやめておこう」「そんなことより資格の勉強をしろ」といった考えは、**好奇心の芽を摘んでしまう「悪魔のささやき」**とでも言えるものではないでしょうか。もちろん、現実的な生活を考えると効率や合理性を無視することはできませんが、すべてをこれらで測ってしまうと、自身の感覚や偶然性の力を失ってしまう危険性があるのです。

計画が「目的」になってしまうことの弊害

さらに重要な点として、**「計画を立てること、それを守ることが目的になってしまう」**という落とし穴があります。例えば、「毎日30分外国語を勉強する」と決めた場合、その30分を守ること自体が目的となり、学習内容の質や楽しさが二の次になってしまうことがあります。義務感が勝り、楽しさを見失ってしまうと、長続きせず、結果も出にくくなってしまうのです。

だからこそ、私は「計画を立てる」ことよりも、まず**「始める」という軽やかさ**を信じたいのです。その結果、何かが見つかれば「儲けもの」。もし何も得られなかったとしても、「無駄なことをやった」という経験が残り、それが人生の味になったり、いつか別の場面で思いもよらない価値を発揮したりすることもあるのです。

まとめ

まとめますと、計画は確かに大切ですが、最初からすべてをガチガチに決めない方が良い場合もあるということです。

  • 「面白そうだな」と感じたら、まずは始めてみる
  • セレンディピティのような偶然の出会いは、無計画の中にこそ存在する
  • 効率や合理性ばかりを追求して生きていると、人生がどんどん味気ないものになってしまうかもしれません。

何かに駆り立てられるような純粋な好奇心に従って、まずは一歩踏み出してみる。そんな「計画を立てない」生き方も、時にはあなたの人生を豊かにするかもしれませんね。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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