どんな職場でも、仕事ができる人材は重宝されますよね。それは日系企業に限らず、世界中のどの企業でも共通していることだと思います。しかし、日系企業の場合、能力だけでなく「人望」も非常に重要視される特徴があります。人望とは、周囲から「信頼できる」「真面目だ」と総合的に評価される素晴らしい人格を指します。極端な話、人望さえあれば能力がそこそこでも出世し、最終的にはサラリーマン社長にまでなることもあり得るのです。
ただ、今回は「能力」に焦点を当ててお話ししたいと思います。日系企業で高く評価される能力の一つに、**「一を聞いて十を知る」**というものがあります。
「一を聞いて十を知る」とは?
この言葉は、元々「物事の初めを聞いただけで、最後まですべてを理解できる」という頭の回転の速さを意味し、儒教の古典である『論語』に由来しています。
日本の職場では、これに近い形で**「気を利かせる」や「先回りして動く」**といった行動が好まれます。これができると、「気が利く」と高く評価されるのです。正直なところ、私自身も相手が先回りして気を利かせてくれたら嬉しいと感じることはあります。
行き過ぎた「気遣い文化」の課題
しかし、この「一を聞いて十を知る」文化が行き過ぎると、まるで日本人が**「テレパシー」でも求めているのかと感じることがあります。「空気を読め」とか「察しろ」といった要求は、まるで「エスパー養成所」**のような文化を生み出していると言えるかもしれません。
私自身も若い頃、アルバイトや正社員として働く中で、この「気を遣え」「空気を読め」という文化に非常に苦労しました。日本人は他人に「気を使え」「気を利かせろ」「察して動け」と求めるのだと実感した経験があります。
この点について思い出すのが、パナソニックの創業者であり「経営の神様」とも呼ばれた松下幸之助氏の逸話です。彼は、人を大切にする経営や、**「細やかな気配り」**を社員に求める姿勢があったと語られています。
しかし、私個人の本音を言えば、松下幸之助氏の話も結局は**「察して動け」「気を遣え」**という方向に繋がるように感じられます。安月給で心身を使い果たしている上に、さらに「俺に気を遣え」と求められているように感じるのです。もしそこまで求めるのであれば、「給料を10倍払え」と言いたくなってしまいます。そうすれば、私も全力で察し、空気を読み、気持ちよくさせることができます。
しかし現実は、給料は据え置きで仕事は山積み、その上に**「心の奉仕」まで求められる状況です。これは、会社というものがもはや「宗教」**のようになってしまっていると言えるでしょう。心の中では、「はっきり言えよ、こっちはエスパーじゃないんだぞ」と叫びたくなります。もちろん、松下幸之助氏の日本経済への偉大な功績は否定しません。
多様性の時代に必要なこと
しかし、これからの時代は、外国人と一緒に働く機会が確実に増えていきます。その中で、「場の空気を察しろ」とか「空気読め」「阿吽の呼吸をマスターしろ」といった要求は、まず外国人には通用しません。
だからこそ、多様性の時代を生き抜くためには、**「徹底的に言語化する」**ことが何よりも大切になってくると思います。そして、長期的な戦略やビジョンを明確に共有すること。これこそが、日系企業のビジネスパーソンがもっともっと実践していくべきことだと、私は強く感じています。
まとめ
「一を聞いて十を知る」という能力は確かに素晴らしいものですが、それが「言わずとも察する」という過度な期待に繋がり、従業員に精神的な負担を強いる文化になってしまうのは問題です。これからのグローバルな時代においては、相手に「察してもらう」ことを期待するのではなく、**自らの考えや意図を「明確に言語化」**し、共有していくことが、日系企業が成長し続けるための鍵となるでしょう。