皆さん、こんにちは。今日は「ニュースよりも大切なこと」というテーマでお話しします。
ニュースに抱いていた違和感
私は若い頃から、新聞やニュースにどこか冷めた気持ちを抱いていました。もちろん、世の中の出来事を知ることは大切です。しかし新聞を開けば、戦争、紛争、政治の腐敗、自然災害、悲惨な事件ばかり。冷静に考えると、それらの多くは自分の生活に直接関係がないものでした。
にもかかわらず、「社会人ならニュースくらいチェックしろ」「新聞を読まないのは知的ではない」という風潮があります。私はそこに違和感を覚えてきました。
では、なぜ人はニュースを追うのでしょうか。結局のところ、それは会話のためなのではないでしょうか。ランチや雑談の場で話題についていけるようにするため、多くの人はニュースを流し読みしているのです。
しかしそれは本当に意味があることでしょうか?自分の人生を豊かにしてくれるのでしょうか?
「知性」とはニュース知識ではない
思い出すのは、サラリーマン時代にタイで営業をしていた頃の出来事です。工場見学の後の食事の席で、初対面のメーカー関係者の方と同席しました。長身でスーツが似合い、髭をたくわえたインテリ風の初老の男性でした。
ところが、彼が口にしたのは経済や政治の難しい話ではなく、「歯医者に行きたいけれど時間がない」というような、とても軽い話題でした。おかげで場が和み、初対面の人同士でも自然と会話が弾みました。
この経験から学んだのは、知的な雰囲気とはニュースを披露することから生まれるものではないということです。むしろ、相手が疲れないように話題を選べること、それこそが大人の知性ではないでしょうか。
ニュースより価値のあるものとは?
皆がニュースばかり追いかければ、同じような話題しか出てこなくなります。それよりも、自分自身の体験を語れる人の方がずっと面白く、記憶に残ります。
インターネットを通じて疑似体験が簡単にできる今だからこそ、実際に体を動かして得た経験は大きな価値を持ちます。旅行でも趣味でも日常のちょっとした出来事でも構いません。そうした体験から生まれる言葉は、ニュース記事を10本読むよりも重みがあるのです。
知性とは、ニュースの暗記力で測られるものではありません。自分の体験を通じて語れる力、そして相手を楽しませる力。これこそが、これからの時代に求められる本当の知性だと私は思います。
まとめ
ニュースの多くは生活に直接関係がない。
ニュース知識よりも、会話を和ませる配慮や実体験を語れる力が大切。
インターネット時代だからこそ、リアルな体験が価値を持つ。
今日は「ニュースよりも大切なこと」というテーマでお話ししました。皆さんはどう思われますか?
それでは、また。