こんにちは。
今日は「思想発信と虚構文化」というテーマでお話ししたいと思います。
キャラクター文化とSNSの現実
現代の日本社会では、自分のキャラクターを明確に示さないと「生きづらい」と感じる場面が少なくありません。自分はどんな人間かを周囲にアピールしなければ、受け入れられないという風潮があるのです。
このキャラ文化は、リアルな生活にとどまらず、SNSの世界にも広がっています。YouTubeやInstagramを見てみると、キャラクターを演じることで差別化を図ろうとする人たちが多く存在します。
たとえばYouTubeでは、冒頭から大声で「イエス!」や「ウース!」と叫ぶ人がいます。そうした姿を見ると「一生懸命キャラを作っているな」と感じることがあります。
明るい「陽キャ」を売りにする人もいれば、逆に「陰キャ」であることを前面に出す人もいます。どちらにしても、キャラクターを際立たせなければ埋もれてしまうという現実があるのです。
虚構としてのキャラと視聴者の受容
こうしたキャラクターの多くは、実は「虚構」、つまり作られた姿ではないかと私は考えています。本当の自分をそのまま出しているのではなく、視聴者に受けるように演じているだけなのではないでしょうか。
本来であれば「嘘じゃないか」と批判されてもおかしくないはずです。ところが、YouTubeのコメント欄を見ても「これ、嘘くさい」といった声はほとんどありません。視聴者もまた、それが虚構であることを理解したうえで楽しんでいるからです。
これはテレビのバラエティ番組にも共通しています。多くは台本に沿った「やらせ」であり、怒るフリや驚くフリをしているに過ぎません。しかし視聴者はそれを承知の上で受け入れ、楽しんでいるのです。
虚構文化がもたらす落とし穴
ただし、この「虚構を楽しむ文化」には危うさもあります。
それは、本当の虚偽や詐欺を前にしても見抜けなくなるという点です。
虚構を日常的に消費していると、「まあ、そんなものだろう」と軽く受け流すクセがつきます。その結果、実際の詐欺やごまかしに対しても無防備になり、判断力が鈍ってしまうのです。
近年、若者がSNS経由で詐欺や「闇バイト」に巻き込まれるケースが増えているのも、この背景と無関係ではないでしょう。普段から虚構に慣れすぎているため、本物と偽物を見分ける警戒心が弱くなっているのです。
思想で発信するという選択
こうした時代だからこそ、私は「キャラ」ではなく思想で発信することに意味があると考えています。
つまり、「自分が何を考え、何を大切にしているのか」を飾らずに伝えることです。
虚構に疲れ、本物を求めている人は必ずいます。そうした人にとって、思想で語る言葉こそ信頼の源泉になるのです。思想を軸に築かれた関係は、キャラを演じることで生まれるつながりよりも、ずっと強く長続きするでしょう。
まとめ
SNSやテレビの世界では「虚構込みで楽しむ文化」が主流。
虚構に慣れすぎると、本物の詐欺やごまかしを見抜けなくなる。
だからこそ、キャラクターではなく「思想」で発信することが大切。
皆さんは、キャラクターで演じられた虚構をどこまで信じていますか?
そして、それを本当の虚偽や詐欺とどう区別するでしょうか?
私は、思想で発信することこそが、虚構にあふれた社会で本物を求める人とつながる唯一の道だと信じています。
それではまた!