新聞を読むことの効用:苦手だった私が「知的トレーニング」として捉えるまで

2025年9月16日火曜日

考えかた

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今日は「新聞を読むことの効用」というテーマでお話ししたいと思います。実は、私は若い頃から新聞を読むのが苦手でした。むしろ好きではなかったと言った方が正しいかもしれません。その理由はシンプルで、新聞に書かれていることに対して知的な好奇心が湧かなかったからです。どの記事を読んでも自分の生活に直接関係があるわけではないと感じ、内容が悲壮的でつまらないと思っていたのです。

振り返ると、中学の頃の同級生には読書家で新聞をたくさん読んでいる人がいました。当時の私には、「なぜわざわざ新聞を読むのだろう」と不思議でなりませんでした。

社会人になってからの気づき

しかし、社会人になってサラリーマンとして働く中で、世間の大人と接して話をする機会が多くなりました。そのような時、新聞に書かれているような情報を把握していないと、時には恥をかくこともあると気づかされました。相手から「そんなことも知らないのか」と真顔で言われることもあったのです。そのため、「ある程度新聞は読んでおいた方が良いのだろうな」とは思っていましたが、その努力は長くサボっていました。

私は昔から本、特に文化、芸術、人文科学、社会科学といったジャンルの本は人並み以上に読んでいました。そのため、新聞が扱う話題はどうしても「俗世間のこと」のように思えてしまっていたのです。

新聞を「知的リトマス試験紙」として読む

ところが、最近になって日本の五大紙のうちの一つを毎日読むようになりました。五大紙とは、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞を指します。

新聞を読み始めて気づいたことがあります。それは、新聞が自分自身の「知的なリトマス試験紙」になるのではないかということです。新聞記事の中には、予備知識がないと理解できないものが少なくありません。そのような記事に出会うと、「ああ、自分はこの分野の勉強が足りていないんだな」と気づかされます。もちろん、その分野のテーマが面白いかどうかは全く別の問題ですが、少なくとも自分の知性の幅を測る一つの物差しになると感じています。新聞にはそうした役割があるのではないでしょうか。

幅広い知識の重要性

ビジネスの現場においては、幅広い雑談についていけることが知性の一つの証とされます。どんな話題でも会話に参加できる人は、「頭が良い人だ」と思われやすいものです。AI全盛の現代においても、最低限の情報を抑えておくことは重要だと考えています。なぜなら、情報(インフォメーション)を知らないと、「そんなことも知らないのか」と説教される可能性があるからです。

私自身は、「現代は情報過多なのだから、どうでも良いニュースは意識的に取り入れていない」と心の中で自己弁護したい気持ちもあります。しかし、そう言っても、そうしたおじさんたちには理解されないだろうとも思います。

新聞は「知的トレーニング」

このような経験もあって、私は今、新聞を読むことを一つの習慣にしています。新聞を読むことは、単にニュースを知るだけでなく、**「世間との接点を確認する作業」**でもあるのです。だからこそ、私は新聞を読むことを「ちょっとした知的トレーニング」として捉えるようになりました。

もちろん、読んでいて興味が持てない記事に出くわすこともあります。そんな時は、「やっぱりつまらないな」とつぶやきながら飛ばし読みしています。おそらく、そんな読み方でも良いのだと思います。

学生時代に、百科事典を最初から最後まで読むのが趣味という賢い先輩に出会ったこともあり、自分自身の興味関心はどうしても偏りがちだと感じていました。しかし、新聞を通じて、自分の興味の範囲外にも目を向けることで、知的な視野を広げるきっかけになっていると感じています。

新聞を読むことは、私たちの知性を磨き、世間とのつながりを意識するための大切な習慣だと私は考えています。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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