キャリアの一貫性について物申す:日本の働き方は本当にこれでいいのか?

2025年9月17日水曜日

サラリーマン

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こんにちは。今回のテーマは「キャリアの一貫性」です。これはあくまで私個人の理想論であり、現実の日本社会や企業の採用現場とは真逆のことが行われている現状を承知の上で、私の考えを語らせていただきます。

日本社会が求める「長く働くこと」の美徳

現在の日本の企業社会では、サラリーマンとして認められるためには、一つの職業を何年も続けることが求められます。3年程度の勤務では「まだまだ未熟」とされ、10年でも「鼻垂れ小僧」扱いされることすらあるかもしれません。これは、日本資本主義の父とされる渋沢栄一の言葉「40、50は鼻垂れ小僧、60、70は働き盛り、90になって迎えが来たら100まで待てと追い返せ」に象徴される、長く働くことを美徳とする価値観が根強く存在しているからです。渋沢栄一が2024年から1万円札の肖像に採用されることも、日本社会の保守化の象徴だと私は感じています。

特に製造業のような古い業界では、この傾向は顕著です。20年間同じ職場で働き続けて、ようやく一人前として信頼を得られるという認識があります。仕事内容や実績よりも、つまらない仕事でも耐え抜いた証こそが価値になると評価されることがあります。家から近いという理由で入社し、不平を言いながらも20年間働き続けた人が「立派な職業人」として認められるのが、日本社会の現状なのです。

一方で、転職を繰り返す人間は「気が落ち着かない」「尻の軽い人間」と見なされ、評価が下がる傾向にあります。これは、どんな仕事でも辞めずに続けること、嫌な上司がいても耐えることによって初めて一人前と認められるという、「キャリアの一貫性」を重視する思想が背景にあります。

キャリアの一貫性へのこだわりが奪う「可能性」

しかし、私はこの「キャリアの一貫性」にこだわりすぎることに大きな問題を感じています。それは、自分自身の可能性を試せなくなるということです。

確かに、転職を繰り返す人は「根性なし」に見えるかもしれません。しかし、実際には様々な会社で多様な仕事を経験することによって、初めて自分に合った仕事を見つけられる可能性が高まるのです。自分が何に向いているのか、何に興味を持てるのかは、机の上でいくら考えても見つかるものではありません。実際にやってみて、「これは違うな」と思ったら、次の挑戦をすればいいのです。その繰り返しの中でこそ、自分の道が見えてくるものだと私は考えます。

もちろん、このような考え方は経営者からすれば歓迎されないでしょう。企業側からすれば、一度採用した従業員には長く勤めてもらい、年数を重ねることで業務に熟練してほしいと考えるのは当然の理屈です。

個人の自己実現を追求する社会へ:キャリアの探求心を評価しよう

これからの時代に、個人が職業を通じて自己実現を真剣に考えるのであれば、「職を転々とすること」というアプローチがもっと日本社会で認められていいと私は強く願っています。

単なる「キャリアの一貫性」ではなく、「キャリアの探求心」を評価する社会になってほしい。そうなることによって初めて、日本は本当の意味で「生きやすい社会」になるのではないでしょうか。職を転々とすることは、自分のやりたいことや気持ちに正直になり、自分自身にこだわることの表れでもあるのです。

最後に

今回お話ししたことは、あくまで私の理想論に過ぎません。現状の日本社会で「可もなく不可もなく」キャリアを歩みたいのであれば、できるだけ同じ会社で長く勤め続ける方が良いという現実もあります。

しかし、皆さんはこの話を聞いてどう感じたでしょうか? 個人の可能性を広げるために、社会の価値観が変わることを願ってやみません。



Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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