皆さんは「サービス残業」や「滅私奉公」といった言葉を聞いたことがありますか?今回は、会社での長時間労働が本当に「正当化」されるのか、というテーマで深く掘り下げてみたいと思います。
昭和や平成の時代、日本のサラリーマンにとって長時間働くことは当たり前でした。現在では政府主導の「働き方改革」が進み、法律も整備され、大手企業を中心に社員を働きすぎないようにする流れができています。しかし、それでもまだ長時間労働が常態化している業界が存在します。その代表例が飲食業界です。
飲食業界と長時間労働:夢と現実
飲食の世界では人手不足が深刻で、少ない人数で店舗を回す必要があり、結果として一人ひとりの労働時間が長くなりがちです。さらに、将来自分の店を持ちたい、あるいは修行をしてスキルを身につけたいと考える人も多く、自ら進んで長時間働くケースも少なくありません。中には、給料が出なくても経験を積みたいと考える極端な人もいるほどです。
一方で、大手飲食企業は「ホワイト化」が進み、残業時間がきちんと制限されています。そのため、本気で修行したい、将来自分の店を持ちたいと願う人は、あえて大手企業を避け、中小企業や個人経営の店で働くという流れもあるようです。
「24時間働けますか?」の時代から変わらない意識
この話を聞くと、1980年代に流行したリゲインのCM「24時間働けますか」を思い出す方もいるかもしれません。当時と比べ何十年も経った今でも、長時間労働を苦にしない人々が日本にいるのは興味深い点です。
もちろん、夢の実現のために自ら働き続けること自体を否定するつもりはありません。やりたい仕事があるというのは、ある意味で非常に幸せなことです。しかし、私が気になるのは、日本人にありがちな「長時間働き続ければ何とかなる」という発想です。これは、効率や生産性を下げる大きな要因となります。時間内に仕事を終わらせようという意識がないと、時間の使い方に関する感覚も育ちません。お金と違って時間のコストは目に見えないため、無限にあるかのように錯覚してしまうのです。これが「思考の落とし穴」だと私は考えています。
職場の問題:夢追い人の影響と根深い意識改革の必要性
さらに問題なのは、夢のために働きまくる人が職場に多いと、そうでない人たちまで巻き込まれてしまうということです。会社側から見れば、残業してでも頑張ってくれる社員は「可愛い存在」かもしれません。特に昭和や平成の時代にがむしゃらに働いて成功した経営者の中には、最近の若者が「ワークライフバランス」を重視することに苦々しく感じる人も少なくないでしょう。
だからこそ、この問題は根が深いのです。日本企業の長時間労働を本当に変えていくためには、法律や制度だけでは不十分です。働く人一人ひとりの意識を変え、仕事の進め方を見直していかなければなりません。
ヨーロッパとの比較:休暇の文化
ここで少しヨーロッパの例を挙げてみましょう。聞くところによると、ヨーロッパの人々は休暇の取り方が日本とは全く異なるそうです。国や仕事にもよりますが、1年のうち1ヶ月、長い人だと2ヶ月も休むという話も耳にします。彼らには「バカンス文化」が社会に根付いており、家族や友人との時間を非常に大切にしているのです。
一方、日本の休みはどうでしょうか?せいぜいお盆や正月に10日間程度でしょうか。しかも、皆が一斉に休むため、帰省ラッシュや渋滞でかえって疲れてしまうことも多いですよね。正直、「休んだ気がしない」と感じている人も少なくないでしょう。
日本人の仕事への意識:自己同一化と孤独の回避
それでも日本人はなかなか変わろうとしません。やはり仕事に対する意識が真面目すぎるのです。仕事を通して自己実現を果たすという考え方が非常に強く、仕事と自分自身のアイデンティティが一体化してしまっているのです。中には、会社と自分を一体化させてしまう、いわゆる「社畜」や「会社人間」と呼ばれる人もいます。
もし仕事がなかったら人生が空虚で無意味になってしまうと感じる人が、日本には多いのかもしれません。職場に行けば同僚や上司がいます。人間関係に悩むことはあっても、人と関わっている安心感があり、物理的な孤独を感じにくいのです。多くの日本人は、自分がどう生きるかを自分で考えるよりも、生き方を含めて会社に委ねてしまう傾向があります。ここに、長時間労働の問題が根強く残ってしまう理由があると私は考えます。
まとめ:あなたにとっての「正当性」とは?
今日は、会社での長時間労働が正当化されるために必要な条件というテーマでお話ししました。皆さんはどう思ったでしょうか?
夢のためなら長時間働くのも「あり」だと考えますか?それとも、効率よく働いて自分の人生を楽しみたいと思いますか? ぜひご自身に問いかけてみてください。
それでは、また。