今日は少し変わったテーマについて話したいと思います。
それは――なぜ私たちは、理不尽な職人に惹かれるのか。
AIがもたらした「快適」と「合理」の行き着く先
AIが社会の隅々にまで浸透し、私たちの生活は格段に便利になりました。
スマートスピーカーは文句ひとつ言わずに命令を聞き、
チャットボットはいつでも丁寧な返答をくれます。
すべてが正確で、優しく、効率的。
怒らないし、気分にムラもない。
そこには不快も葛藤もなく、ただ快適と合理があるだけです。
けれど――そんな時代だからこそ、
人はなぜか「理不尽な寿司職人の店」に惹かれてしまう。
その張り詰めた空気を、むしろ心地よいと感じてしまう。
「圧」を求める心理 ― 優しさに飽きた人間
日本には、頑固なラーメン屋の親父や、寿司職人のような
一切の妥協を許さない人間が今もいます。
カウンターに座った瞬間、
「お茶ください」と言っただけで一喝される。
「うちはお茶なんか出さねえ」。
理不尽です。
けれど、その理不尽がなぜか心地よい――
そう感じる人が少なくありません。
なぜでしょうか。
それは、人間がときどき、優しさよりも「圧」を求めるからです。
完璧に整えられた世界では、
誰も怒らず、誰も叱らない。
だからこそ私たちは、ときに強烈な信念に触れ、
自分の甘さを打ち砕かれたいと願うのかもしれません。
人は、優しさに包まれるだけでは生きられない。
ときには、理不尽によって「人間としての輪郭」を確かめたいのです。
職人が放つ「孤独な誇り」
寿司職人や金型職人――彼らの共通点は、
理不尽の裏側に、孤独な誇りがあることです。
たとえば寿司職人が客を叱るとき、
そこには「魚と米に人生を懸けてきた人間の執念」があります。
「俺は大学も出ていないが、味で勝負してきた」――
そんなこじらせた情熱が、彼らの怒りの奥に潜んでいる。
その怒りは、誇りと劣等感が混ざった痛みでもある。
だからこそ、その一貫の寿司は“料理”ではなく“生きざま”になる。
製造現場の熟練職人も同じです。
「図面なんか見るな、手で覚えろ」と叱るのは、
単なるパワハラではなく、技術が自分の代で消えることへの恐怖なのです。
理不尽は、弱さの裏返し。
そして、誇りの最終形でもあります。
魂のない優しさと、痛みのある叱責
AIは優しい。
どんなに暴言を吐いても、決して怒らない。
最適な回答を返し、穏やかに受け止めてくれる。
けれどその優しさには、魂も責任もない。
だからこそ、私たちは理不尽に触れたくなる。
叱られ、怒鳴られ、そして最後に「お前、少し分かってきたな」と言われたい。
そこには痛みがあり、同時に救いがあります。
完璧な接客、完璧な対応。
AIが人間を“快適に満足させる”時代に、
人間を不快にしながらも感動させる存在――
それが、理不尽な職人なのです。
「こじらせた魂」が、AI時代を救う
AIがどれほど進化しても、
人間は痛みを通してしか学べない生き物です。
だからこそ、面倒くさくて怒りっぽく、
愛情表現の下手な**「こじらせた魂」**を持つ人々は、
これからますます貴重な存在になるでしょう。
AI時代に残るのは、完璧な人間ではありません。
むしろ、不器用で、理不尽で、でも本気で生きる人間です。
人をムカつかせながらも、どこか愛されてしまう頑固者――
彼らこそ、人間の尊厳の最後の砦なのです。