「最適解」に囚われる生き方 ──量産型日本人サラリーマンの思考構造

2025年12月18日木曜日

サラリーマン

t f B! P L

 どうも、こんにちは。

今回は、多くの日本人サラリーマンが無意識のうちに陥っている
**「最適解に縛られる思考構造」**について考えてみたいと思います。

本人は真面目に考え、空気を読み、組織に適応しているつもりなのに、
気がつけば「どこにでもいる人」になってしまう。
この現象は、個人の怠慢ではなく、思考の作り方そのものに原因があります。


正解教育が生み出した「思考の癖」

私たちは子どもの頃から、
「正解は一つしかない」
という前提で教育を受けてきました。

テストには必ず答えがあり、
受験ではその答えにどれだけ速く、正確にたどり着けるかが評価されます。
多数派が選ぶ答え=安全な答え、という環境で、多くの日本人は育ちました。

ところが、社会に出て働き始めると、誰もがある事実に直面します。

現実の仕事には、唯一の正解など存在しない。

顧客対応、企画、交渉、意思決定。
そこにあるのは、正解のない状況と、不確実な結果だけです。

本来なら、正解がない世界は自由なはずです。
しかし多くの日本人は、その自由を歓迎しません。

正解が消えた瞬間、人々が次に探し始めるもの。
それが 「最適解」 です。


最適解とは何か

ここで言う最適解とは、
論理的に最も優れた答え、という意味ではありません。

最適解とは、
「その場の空気を壊さず、誰も怒らせず、責任を負わずに済む答え」
のことです。

・上司の顔色をうかがい
・会議の流れを読み
・周囲の意見と大きくズレない位置に着地する

こうして導き出されるのが、日本的な最適解です。

これは処世術としては非常に優秀です。
波風は立たず、敵も作らず、評価も落とさない。

しかし同時に、
自分の考えを一切表明しない訓練
でもあります。


最適解が奪っていくもの

最適解を選び続けることの最大の代償は、
自分の世界観が育たなくなることです。

世界観とは、
何をどう見て、どう感じ、どう解釈するかという
個人固有の視点です。

ところが最適解ばかりを選んでいると、
失敗する経験
ズレた意見を言う経験
反対される経験
を、意図的に避けるようになります。

その結果、
・自分の言葉で語れない
・本音の議論ができない
・人生をどう生きてきたか説明できない

という状態に陥ります。

最終的に残るのは、
「普通」「安全」「無難」「特徴がない」
という、人間的な薄さです。

これは能力の問題ではありません。
思考の選択の積み重ねが生んだ結果です。


なぜ人は最適解を選び続けるのか

理由は驚くほど単純です。

危険を冒して自己主張するより、空気に合わせた方が安全だから。

日本の会社組織では、
目立つ人間はリスクになります。
個性は「扱いづらさ」として処理されがちです。

そのため、
無難でいること
波風を立てないこと
空気を読むこと
が、合理的な選択になります。

「あなたはどう思いますか?」
と聞かれても、
本当の意見ではなく、
その場で安全な答えを出す。

こうして思考も言葉も、少しずつ痩せていきます。


最適解の先に待っているもの

最適解に縛られた生き方は、
短期的には穏やかです。

しかし、何十年も続けると、
自分がどこに向かっているのか分からなくなります。

気づいた時には、
「自分という輪郭が消えている」
という状態になりかねません。

社会に出て得られるはずだった自由は、
最適解を探し続けることではありません。


世界観を取り戻すために必要なこと

本当の自由とは、
自分の経験を、自分の言葉で語れることです。

正解でも、最適解でもなく、
自分なりの解釈を持つこと

それは、誰かに評価されるためではなく、
安心して自分の人生を歩くために必要なものです。

世界観を育てる方法は、実は一つしかありません。

自分の頭で考え、自分の言葉を発すること。

間違えてもいい。
ズレてもいい。
反対されてもいい。

その積み重ねの先にしか、
量産型ではない人生は存在しないのです。





Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

このブログを検索

ブログ アーカイブ

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

ポッドキャスト ビジネス日本語講座

QooQ