工場の承認欲求と職人神話の正体 ──閉じた世界が生む光と影

2025年12月25日木曜日

日系企業の文化

t f B! P L

私は今からおよそ10年ほど前、日本の中部地方にある精密部品メーカーで営業として働いていました。

それ以前にも東南アジアで製造業の営業経験はありましたが、日本国内の工場で日常的に過ごすのは、そのときが初めてでした。

そこで私が強く印象に残ったのが、工場という空間に漂う、独特な「承認」の空気です。

工場は、部品と油と騒音に囲まれた、きわめて閉じた世界です。
毎朝同じ時間に出勤し、朝礼を行い、黙々と作業に没頭する。
外部との接点は少なく、価値判断はほぼ工場の内側で完結しています。

そこには、社会一般とは少し異なる、独自の秩序がありました。


工場という「村社会」で回る承認

私が最初に違和感を覚えたのは、
職人同士が、職人同士だけで強く承認し合っている点でした。

「お前はよくやっている」
「あいつの段取りは本当にすごい」

そうした言葉が、日常的に交わされていました。

もちろん、過酷な労働の中で互いを認め合うこと自体は、人間的に自然です。
それが仕事の支えになり、生きる意味になることもあるでしょう。

ただ、外部から見たとき、私はそこに
小さな村社会の中での相互慰撫のようなものを感じました。

閉じた空間の中で承認が循環し、
その外側の評価軸がほとんど参照されていない。
その様子が、どこか息苦しく、危うく見えたのです。


職人として認められるまでの長い時間

工場の世界では、承認を得るまでに非常に長い時間がかかります。

入社して3年では話にならず、
10年でようやく「少し分かってきたか」という扱い。
20年でもまだ若手。
30年近く勤め上げて、ようやく一人前の職人と認められる。

それが、この世界の感覚でした。

外部から入ってきた営業マンである私は、
当然ながらその輪の外にいます。
信頼を得るには、相当な時間と根気が必要でした。

結局、私は社内での人間関係や社長からの信頼を築けず、
追い出されるように会社を辞めることになります。

この経験は、日本社会、とりわけ村社会的な組織において、
「内側に入れなかった人間の居場所は極端に狭い」
という現実を、強く突きつけるものでした。


内輪の承認は、圧倒的に楽である

一方で、ひとたび内側に入ってしまえば、話は逆になります。

仲間として扱われ、
「お前は分かっている」「いい仕事をする」
と認められる。

すると、単調な作業にも意味が宿り、
自分の存在価値が確かめられる。

内輪の承認は、非常に居心地がいい。
これは紛れもない事実です。

だからこそ、人はそこに安住してしまう。


職人神話の正体は「価値の錯覚」

しかし、この構造を一歩引いて見ると、
それは典型的な
「井の中の蛙、大海を知らず」
の状態でもあります。

工場の外に出れば、
その技術の価値は相対的なものになります。
世界基準で見れば、代替可能な場合も多い。

にもかかわらず、
閉じた空間で承認が回り続けると、
その技術があたかも
普遍的で絶対的な価値であるかのような錯覚
が生まれます。

これが、いわゆる「職人神話」の正体です。


承認が賃金を抑制する装置になるとき

この構造は、経営者にとって非常に都合がいい。

なぜなら、
職人同士が互いに尊敬し合い、
年長者が慕われる環境があれば、
賃金を上げなくても満足が生まれるからです。

「この旋盤を回せるのはお前しかいない」
「このジグを作れるのはベテランだけだ」

そう言われて尊敬される。
しかし、給料は安いまま。

つまり、
工場内の承認関係が、賃金抑制の装置として機能している
ということです。

職人同士の相互承認は、
本人たちにとっては幸福を生む一方で、
同時に**「えさ」**にもなっている。

この二面性を、見逃してはいけません。


閉じた承認がもたらす最大の危険

承認が内側だけで完結すると、
外の世界を見る必要がなくなります。

本来であれば、
外に出て挑戦できたかもしれない。
別の評価軸で自分を試せたかもしれない。

しかし、
工場の中で価値が保証されてしまうと、
その可能性は静かに閉ざされます。

これが、
職人神話が持つ本当の危険性です。


技術を神聖化した社会の行き着く先

私はこの工場での経験を通して、
日本社会に根強く残る
「職人礼賛」や「伝統技術の神聖視」に
強い疑問を抱くようになりました。

閉じた価値基準が、
いつの間にか社会全体の理想として語られる。

挑戦よりも安定が称えられ、
型を破る人間が出てこなくなる。

その結果、
社会はゆっくりと保守化し、
技術も文化も停滞していく。


承認は人を救いも、縛りもする

承認そのものが悪いわけではありません。
誰だって、
「すごいですね」と言われたい。

問題は、その承認が
どこに向かって開かれているかです。

閉じた承認は、人を安心させます。
しかし同時に、
人生そのものを縛る鎖にもなり得る。

工場の中にあったあの温かさと息苦しさ。
その両方を、私は今も忘れずにいます。


Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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