こんにちは。
今回は、
「日系大企業の幹部サラリーマンは、なぜあれほど語らないのか」
というテーマについて書いてみたいと思います。
日本の大企業を長く観察していると、不思議な感覚に何度もぶつかります。
経営層や幹部クラスの人間は、
会社組織の歪みも、制度の矛盾も、現場が疲弊している理由も、
おそらく“すべて分かっている”。
にもかかわらず、
彼らは社内でも、社外でも、若手社員の前でも、ほとんど語らない。
問題提起をされても、
鋭い指摘を聞いても、
驚くほど「目して語らず」です。
「逃げている」のではない。沈黙は戦略である
私自身、東南アジアの現地商社で働いていた頃、
メーカーの駐在員として来ていた日系大企業の幹部社員と接する機会がありました。
正直な印象を言えば、
**「重要な話題から、意図的に距離を取っている」**ように見えました。
しかし、時間が経つにつれ、考えが変わりました。
彼らは無能なのでも、鈍感なのでもない。
むしろ逆です。
結論から言えば、
語らないという選択こそが、彼らにとって最も安全で、最も合理的な立場
なのです。
昇進の過程で身につけた「発言しない技術」
日系大企業の幹部は、
基本的に「言葉で戦い、主張してきた人」ではありません。
彼らが昇進の過程で磨いてきたのは、
・いつ語るか
・いつ語らないか
・どこで沈黙するか
という、極めて高度な判断技術です。
とくに印象的なのが、
若手社員が組織の矛盾や構造的問題を言語化したとき。
幹部は、
反論もしない。
かといって、賛同もしない。
ただ、静かに聞いている。
これは無関心ではありません。
むしろ、その言葉が、
かつて自分自身が考えながらも、結局語らなかった言葉
である場合がほとんどなのです。
幹部が若手を「公然と擁護してはいけない理由」
では、もし幹部が会議の場で、
「彼の言う通りだ」
「その意見は正しい」
と若手を擁護したらどうなるでしょうか。
外から見れば、理想的な上司に見えます。
しかし、日本企業の内部では、全く違う意味を持ちます。
日本企業は、
意見で動く組織ではなく、関係性で動く組織です。
幹部が若手を擁護した瞬間、
その発言は「個人の意見」ではなくなります。
周囲からは、
「あいつは幹部の意向を代弁している」
「あの幹部のラインだ」
と見なされ、「幹部の古分」認定されてしまう。
ここから、本当の地獄が始まります。
① 会社内部での孤立
まず、同期や中堅社員との距離が生まれます。
「本音を話すと、上に筒抜けになるかもしれない」
という警戒心が働くからです。
結果として、
情報が回らない。
雑談に呼ばれない。
空気が変わる。
これは静かですが、確実に効いてきます。
② 直属上司との関係悪化
次に、直属上司との関係が壊れます。
上司から見れば、
自分を飛び越えて幹部とつながる部下に見える。
能力以前に、
「支配領域を侵した存在」
として扱われるのです。
仕事を振られなくなる。
評価が曖昧になる。
「扱いづらい部下」というラベルを貼られる。
日本企業では、致命的です。
③ 最も致命的なのは「最後まで守られないこと」
そして最大の問題は、
幹部は最後まで、その若手を守らない
という点です。
幹部は異動します。
やがて定年を迎え、権力を失います。
その瞬間、
庇護を失った若手は、
社内に支持基盤を持たないまま、組織の中に取り残される。
守られているようで、
実は最も逃げ場のない立場。
それが、
**「幹部の古分」**というポジションです。
幹部は「言葉」ではなく「配置」で語る
では、幹部は何もしないのか。
そんなことはありません。
本当に組織を理解している幹部ほど、
言葉では動かず、配置で語ります。
・人事配置
・人事異動
・評価コメントでの水面下の推薦
これらを通じて、
静かに、しかし確実に意思を示します。
日本企業では、
沈黙は否定ではありません。
それは、
保留であり、
観察であり、
ときには最大限の理解でもあるのです。
若手社員が持つべき「組織との距離感」
では、若手は黙るべきなのでしょうか。
私は、そうは思いません。
重要なのは、
組織との距離感です。
・誰の代弁者にもならない
・感情ではなく、構造として語る
・正しさを主張するのではなく、観察として提示する
幹部が本当に見ているのは、
「何を言ったか」ではありません。
「誰の古分にもなっていないか」
そこです。
日系大企業の幹部が語らないのは、
無思想だからではありません。
彼らは考え、悩み、
そして最終的に「語らない」という選択をした。
だからこそ、
若手の言葉を軽々しく扱えない。
沈黙の中で、
彼らは、想像以上に深く、若手社員を観察しているのです。