なぜ私たちはセレブを憎めないのか ― エンターテインメントが完成させた「静かな支配」の構造

2026年2月20日金曜日

現代社会

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近年の韓国ドラマや中国ドラマを見ていると、想像を超える資産を持つ大富豪、いわゆる「セレブ」が頻繁に登場します。彼らは巨大な屋敷に住み、部下を指先ひとつで動かし、常人とはかけ離れた生活を送っています。

興味深いのは、その姿を見たとき、私たちの多くが怒りではなく、「かっこいい」「面白い」「見ていて気持ちいい」という感情を抱いてしまう点です。

かつて、資本家と労働者の格差は社会の火種でした。自分たちが苦しい生活をしている一方で、あちら側が贅沢をしている。その怒りが、社会変革の原動力になっていました。

しかし現代では、その怒りはほとんど見られません。その背景には、エンターテインメントによって精密に作り上げられた「静かな支配」の構造があります。


富には「流れる富」と「積み上がる富」がある

まず、富の構造を整理する必要があります。

世の中のビジネスは、大きく「フロー型」と「ストック型」に分かれます。

フロー型ビジネスは、常にエネルギーを投入し続けなければ成立しません。発信、集客、営業、演出、熱量。この循環が止まった瞬間に、収益も止まります。セミナー、イベント、コンサルティング、インフルエンサー型ビジネスなどが典型例です。そこでは論理よりも、空気、雰囲気、熱意、「本気」「感謝」「成長」といった抽象語が重視されます。

一方、ストック型ビジネスは、時間をかけて構築された仕組みや信用そのものが資産になります。製造業やインフラ、長期契約型サービスなどが典型で、積み上げた構造が、継続的に価値を生み続けます。

現代のメディアが描くセレブ像は、多くの場合、この二つを混ぜた「演出された富」です。フロー型の華やかさと、ストック型の安定感を同時に見せることで、現実の構造を見えにくくしています。


階級差は「対立」から「娯楽」へと変換された

本来、埋めがたい格差は不満や怒りを生みます。しかし現代社会では、階級差そのものがエンターテインメントとして消費されています。

セレブは、敵ではなく、観賞対象になります。対立ではなく、憧れの対象になります。格差は社会問題ではなく、物語の舞台装置になります。

その結果、階級差は政治問題ではなく、娯楽ジャンルのひとつとして扱われるようになります。


「物語」が怒りを期待に変換する

セレブを描く物語は、視聴者に対して一貫したメッセージを送り続けます。

今は底にいるかもしれない。しかしそれは物語の途中に過ぎない。まだ逆転イベントが発生していないだけだ。

この瞬間、現実は構造ではなく「ストーリー」へと変換されます。怒りは期待に変わり、反発は憧れに変わります。

そして視聴者は、格差の構造を批判する側ではなく、その構造を支える物語を消費する側に回ります。

「自分もいつか上に行けるかもしれない」。この仮説を手放さない限り、社会構造そのものを疑う必要がなくなります。


命令されない支配という完成形

現代の支配は、命令によって成立しているわけではありません。政治的強制でも、宗教的拘束でもありません。

誰にも命じられていないにもかかわらず、多くの人が自発的に構造を受け入れています。

本当に機能しているのは、外部からの支配ではなく、「自分の立場を疑わなくなる」という内部化された支配です。

これは暴力を伴わないため、反発も生まれません。むしろ快適で、楽しく、消費しやすい形で存在します。


私たちは何に気づくべきなのか

問題は、セレブが存在することではありません。問題は、格差を見ても、そこに構造を見なくなったことです。

華やかな物語を楽しむこと自体は問題ではありません。しかし、その物語が思考を停止させる装置として機能している可能性には、自覚的である必要があります。

現代の支配は、怒らせることで成立するのではありません。楽しませることで成立します。

そして、それこそが、最も静かで、最も強力な支配の形なのかもしれません。



Preplyでビジネス日本語を教えています。日系企業で働いてみたい方、日本語の更なるスキルアップを目指す方など大歓迎です。お気軽にお問い合わせ下さい。

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